「旅をする木」文春文庫、「イニュニック」・「ノーザン・ライツ」新潮文庫、 「風のような物語」 朝日ソノラマ文庫 星野道夫著
星野さんは、動物写真家として活動中に、カムチャッカで熊に襲われて亡くなった。その最後をヒーローめかして、大きく喧伝する向きがあるようだ。しかし、「旅をする木」の中に、「妻の直子が妊娠しました。少し心配な処があります」と書いている。それは、春になって木の芽が吹いたとか、ニシンが寄せてきたとか、そんな歳時記ではなく、誰もと同じ一人の夫として、人間として、大きな転機を迎えたこと、彼でさえ動揺を受けていることを素直に知らせてくれている。優しい人なのだ。
僕は“弁える”という言葉が好きである。好きなのであって、そうできているというわけではなさそうだ。それは、自分と周囲を見渡すことに始まり、自分と周囲を見渡すことに終わるものだと思う。本当の終わりは無いかもしれない。言葉は好きなのだけど、いつも、それに反した自分を見つける。人間だものね。とても難しい。
この会を作ろうと思ったのは、具島健二さんのお誘いによるもので、彼の近くに坂本耕一君が居たから始まったのかもしれない。あるいは、このお二人にしてみれば、僕が居たから始めたのかも知れない。
具島さんや坂本君と設立の準備を始めた頃、坂本君と僕はある1冊の本を同時に読んでいた。お互いに驚いた。動物写真家の星野道夫さんが著した「旅をする木」である。素敵な本で、その後、「イシュニック」、「ノーザンライツ」等を続けて読んだ。彼の写真が掲載された「内なる島」も素晴らしいと思った。
僕は、自然を、生物たちをありのままに見つめることがどれだけ難しいかと考えてきたように思う。自然を研究し、その姿を見つめた研究は数知れないが、その発露、内容、取り組み方はまことに様々である。生物や自然現象を人間が知的好奇心で観察するというその時点で、すでに尺度と角度をもって見つめ始めるのは避けられないことなのだろう。
人工海浜というものがあちこちに誕生している。汚い海の岸辺に砂が流失しないように砂防堤を作り、遠くのきれいな海岸から持ち込んだ恐ろしく高価な砂を敷き詰め、海岸を清掃し、フェニックス等を植えて景観を整え、周囲に駐車場を作り、家族が暖かな陽光を浴び、うち寄せる波の鼓動を体に一杯に感じて、休日を過ごさせようとするものである。人工的であろうが無かろうが、意に介さない人にとってはそれはそれで良いのかも知れない。
海岸には磯の香りというものがある。主に打ち上げられたホンダワラ類等の海藻の臭いである。人工海浜では、人を雇い、海岸に打ち上がる漂着物やゴミと一緒に海藻も全て除去し、白い海辺を作り上げる。その少し先の海に潜ると泥底のどうしようもない海だが、海に入らない人にとってはそれがきれいな、臭気のない海なのだろう。
海藻のホンダワラ類の一株を手に取り、その気胞の一つを指で押しつぶしてみると、それが破れ、中の気体が大気中へと逃げるのを感じることが出来る。
僕は、星野道夫著の「旅をする木」に紹介された次の詩を読んだ時、ホンダワラの気泡を潰して遊んでいる自分を連想した。
すべての物質は化石であり、
その昔は一度きりの昔ではない。
いきものとは息をつくるもの、
風をつくるものだ。
太古からいきもののつくった風を
すべて集めている図書館が地球を
とりまく大気だ。
風がすっぽり体をつつむ時に、
それは古い物語が吹いてきたのだと
思えばいい。
風こそは信じがたいほどやわらかい、
真の化石なのだ。
備考:正しくは独立した詩ではなく、谷川 雁 著“ものがたり交響”から、星野さんが「旅をする木」に引用した文章である。実に雄大で、しかも繊細。言いたいことが身にしみこんでくる見事な文章だと思います。
ゴミの散乱する海辺は、人間の醜さだけではなく、人間の寂しさや拙さ、自然の悲しさ、そして自然の循環を見せてくれる尊い場でもあると思うのだ。何もない、きれいな海岸は全てを隠してしまったコンクリートの遊び場であることを知らない人が増えるのを恐れる。
都会の中で、科学的な恩恵に育くまれて生活している僕たちは、今、それら全てを捨て、野に、山に出て生活することは殆ど不可能である。休日に、海に潜り、一時の安寧、自然の中に少しだけ足を踏み入れた興奮、知識欲の充足等を得ることのできる人はまだ少数で、しかも、それを家族や同僚に伝えるのにさえ気恥ずかしさを覚えるかも知れない。
夏休みが終わりに近づくと、各地で生物や鉱物の同定をしてくれる講習会が開かれ、子供達が標本を持って集まる。宿題という動機が主流なのが残念であるけれど、微笑ましい光景に思う。ところが、大人達にこういう場はどこで提供されるのだろうか?地域の学習会や同好会に入っている人にはいくらでも先に進む手掛かりやアドバイスを受けるチャンスがあるだろう。しかし、そのような可能性は目を見開いていないと見落としがちなものだし、地域によっては、あるいは分野によっては不足している場合も多いだろう。会に足を運ぶのがおっくうになるのも当然なことだろう。そこは、私が教えてあげましょうという講師が待ちかまえているようで何だか恐ろしくなるのかも知れない。博物館や大学では敷居が高いと思う人も多いだろう。勿論、現在の博物館の中にはその敷居を随分と低くする工夫を凝らしているところも多い。しかし、ダイヴァーに関しては限られたアクセスしかないのが現状だろう。
僕は、水産増殖学講座という大学の教室に17年間も在籍していた。その間、電話で水生生物に関する一般の人からの問い合わせで記憶に残っているのはわずかに2件である。一つは、“マリモを北海道旅行のお土産にもらったのですが、餌は何をあげたらよいですか?”という、おもわずニッコリしそうな暖かいもので、もう1件は、“ダム湖でワニのような魚が釣れました。何でしょう?”というものだった。写真でガー・パイクと分かった。ずっと昔、内田恵太郎先生が居られた頃、“サメの胃袋から人間の頭が出てきましたが、このサメは何という種でしょう?“という恐ろしい問い合わせが警察からあったそうだ。それにしても少なすぎるのではないかと今でも思う。
やはり、恥ずかしいのだろうか?それとも、まあ良いわと思っているのだろうか?僕はやはり恥ずかしさが先になっているような気がする。パソコンショップで僕のような中年は若い店員になかなか相談しづらいのだが、それと似ているのではないかなと思う。
この会では、その気恥ずかしい思いを大事にして、しかし、それを恥ずかしいとは思わずに人に伝える場を提供し、理解を得られるような話術と知識を学び、もっと多くの人が目を自然に向けるような活動を進めるのが最終的な目的になるのではないかと考えている。
その中で、何を弁えることが出来るのだろうか?ここでもまた、試行錯誤と反省の繰り返しを続けるのかも知れないけど、人間だもの。
March
25, 2000
後書き
AUNJの設立準備をしている頃に、具島さんと坂本君へ書いたものを少し手直ししたものです。手直しするほどに、反省が多いと言うことなのでしょうね。坂本君は今、ボルネオに居ます。
【追記:星野道夫さんに】「内なる島」を書いた後に出したいと思います。