南風泊通信記 

若い頃、八重山群島、薩南諸島、九州の脊梁地をうろついていた旅日記などです。
今、読み返すと、恥ずかしくなるのもありますが・・

            04/01/04 開始 余吾 豊

−  作 品  −

南風泊通信局開設のお知らせ 

04/01/04

南島小品集

04/01/04

八重干瀬挽歌

南風泊通信からの招待
石西礁湖の旅:
フマフマ・ヌカヌカ・アプアアと泳ぎ行く
六月島の体臭
脊梁小品集

04/01/04
八重山渉記

04/01/04
クリスタル・クリヤーの庭
10
猫の居る部屋
11
私の心をかき乱す、とても美しい人ー1
12
花之関小品集
13
南風泊り、浜宿り
14
夜行誌
15
色々な色
16
南島の子供

04/01/04
17
黒潮小品集
18
対馬小路小品集
19
夜路小品集
20
眠る島
21
トゥバル市街

22
私の心をかき乱す、とても美しい人ー2

23
私の心をかき乱す、とても美しい人ー3

24
窓辺

25
猫達の居る丘の上の小さなホテル

26
Teachers:the Bad and Good, Schools Today

27
SOUTHERN DOWN

更新記録

 南風泊通信局の開設のお知らせ

何かの拍子に、ふと、記憶に残っているにほひを嗅ぐことがあります。
街角を曲がる時や、しゃがみ込んだ時などに

先日、タバコを銜へて水を汲みに行く時、私は水中マスクのあのゴムのにほひを嗅ぎました。
嗅いだやうな錯覚を起こしたのかも知れません。

それはどちらでも構はないのですが、懐かしい気持ちで胸が一杯になったのです。

人は水の子です。

道に迷ひ、藪漕ぎを繰り返し、リュックを枝に引っかけ、汗を拭い、やっとのことで尾根道に
出たとき

そこら一面に咲いている花に、ハチがブンブンと羽音を立てているとき

峠道を曲がると、傾いた陽射しの中で銀白色に光るっている尾花原が一面に
目の前に飛び出してきたとき

水筒に水を汲もうと谷へ降り、何気なく耳を澄ませてみるとき

漏れてくる陽が浴槽の中で危なげな模様を作っているのを見るとき

月の光の下、青白い海底でゴカイがダンスをしているとき

私は、そんなに遠くないところから、招待を受けている気になります。

これは南風泊通信局からの丁寧な招待に他なりません。

私が一体、どんな言葉で話しかけられたか、私がそこで何を見てきたか

少々、長い、退屈な話かも知れませんが、これから、ここに記します。

これを読まれる方に納得してもらえるかどうか、それは分かりません。

その時、その時に、そして、私は今でもそう思ふのですが、私にとって、紛れもなく楽しい、
素敵な、そして、決して忘れぬことの出来ない、暖かな招待であり、もてなしだったことは、
よく知って欲しいのです。

1971年 〒814 福岡市田島4丁目2-28 大賀テル方 余吾 豊

 南島小品集

「名瀬、赤尾木」(1970? 奄美大島)

一杯に茂った油緑の中に
郵便ポストがあり
午後
フクギの並木の間を
影になり、光になり
集配係りの若い男が
やってくる


「サラサバテイ」(1972 八重山群島小浜島)

私が浜から戻った時です
私は はっと足を止めました
廣い芝生の庭にある
手押しポンプの影で
彼がしゃがんで 
土を掘っておりました
陽は南中
辺り一面 
金粉をまぶしたやうなまぶしさで
肌は焦げるやうで
それでゐて 
堪らなく気持ちの良い昼です

彼は汗を流しており 彼の手に余る
まだ 光の下で
海の雫を垂らしてゐる
大きな貝を埋めやうとしていたので

わたしは もう一度
波打ち際まで
白い さらさらとした
砂の斜面を下りました 

「羊歯の参列」(1972 八重山群島西表島浦内川)

まりうどは音を立てておりますが
紅樹も並び終えました
日傘をさすのも
汗を拭ふのも
それからにしてゐただきたい

唯、
濡れた岩に気をつけるやうに

羊歯ももうじき
並び終えるでせう
その時には
まりうども
もう
音を控えるでせう



「いうぬ ウドの浜」(1970 与論島)
 八重干瀬挽歌
 南風泊通信局からの招待
 石西礁湖の旅:フマフマ・ヌカヌカ・アプアアと泳ぎ行く
 六月島の体臭

 脊梁小品集

「山で」(1970 大分県傾山)

歩幅も体力も違うので
我々には間隔ができた
離れすぎてしまふと 腰を下ろし
彼を待った
一息ついてゐると 
木立の間の登山道に
草色のハンチングが
見えてくるのだった

山行の中で 
憑き物が段々と落ちていき
私は脱しつつあると思った

脊梁は 
すくっと がっしりと伸びて 
またがり
私も 三角点にしっかりと 
澄んだ綱青の空に
すっきりと立った

山はありがたいな

「雲の信号」を諳んじ
脚を一杯に伸ばして 
夏みかんを剥いた

小屋には 
院生を二人連れたOBが居た
彼と三人の話す声を 
リュックに凭れて聞いてゐた

昼間の憑き物が 
また もそもそと 
這い上がってくる
抗いもせずに 
じっと そのままにしておいた

緑に埋もれた
ミズナラ、ブナ、トガの林の中を
でくでくと下りながら
憑き物のしつこさを呪った

廃坑となった鉱山町
吊り橋を渡り
床屋の前でバスを待った

床屋の水槽には
イダが沢山泳いでおり
稚ないことに 
私は得意になっていた

山から帰って
憑き物は弱くなり はっきりと  
私が脱しかけていることを知った

「谷の交情」(1971 大分県祖母山メンノツラ谷」
 八重山渉記
「比川小学校」(1972  八重山群島与那国島)
 クリスタル・クリヤーの庭
 猫の居る部屋
 私の心をかき乱す、とても美しい人ー1
 花之関小品集
 南風泊り、浜宿り
 夜行誌
 色々な色

 南島の子供

「ナンタ浜」(1972 与那国島)

小浜のテツ

ナンタ浜を駆ける子供
浮き袋替わりのチューブを転がしながら

沖のブイに舫ってある舟に
乗りたいとせがみ
パンツも脱いで
僕のシャツの裾を掴み
「ハヤク ノロウ」とせがむ

屋根に登っては飛び降りてみせる
知らぬ振りをすると 凄いなと言ふまで飛び降り続けるし
叱ると 物を投げ散らかし 
そして しまいには 泣き出してしまふ

ナンタ浜を 手を引かれ
首を振って歩きながら 歌を歌ふ

子供はナンタ浜の空が好き
ナンタ浜に寄せてくる
やはらかい緑色の水がとても好き

夜の散歩についてくると
浜に座ってゐる内に眠ってしまふ

走り疲れ 歌ひ疲れ 
泣き疲れて
僕はお前が好き

ナンタ浜しか知らないけれど
子供は もう とても ナンタ浜が好き

シロサギを追って 渚を走る
声をあげて
浜の終わりまで

僕が帰るとき 
子供は石垣にもたれて泣き出し
港まで一緒に行くのだと父親にせがんだ

トラックの荷台で
僕を見
「アノヨ マタ コイヨ」と
小さな声で そう言ったものだから

僕は船の艫に膝を抱へて座り込み
子供は父と並んで
手を振り続けた


 黒潮小品集
 対馬小路小品集
「彦島獅子ヶ口」
 夜路小品集
 眠る島

 「トゥバル市街」

F氏は、いかにも実直さうで
手渡された地図は鉛筆書き
夕暮れに、街は地図までも染めてしまひ
私は愛するやうに歩いたが
あんまり、色調のかはり具合は
速いといふものだ

食事をする店の窓には
あっといふ間に雪が貼り付き
街灯は
小さな音を立て始めた

私達が住むことになった家は
市街の南の端にあって
二間続きで
手洗いは共同で、台所も小さかったが
造りはしっかりしていて
冬は寒さが酷い時が多かったが
夏はよく風が抜けていった

お前はすっかりセーターで着膨れしていたけれど
冬も健康で
人が顔をしかめる木枯らしや吹雪でさえ
楽しみ、愛することを忘れなかった

時には燃やす木が足りない夜もあったが
それが、それほど酷いものではないことを
酷いことは、そう滅多にないことを
分かっていた
夜の公園は
そっと私達に耳打ちしたものだ
夜更けには、いつも良い席が取れた
アパートに戻る途中で
お前はチョークを拾ひ
赤煉瓦に幼い徒をした

戻ると
部屋はすっかり蒼く
冷えきっており
小さな火鉢に炭を入れて寝間に置き
それから、お前は熱い湯を沸かした

トゥバル市は冬が長く、実に寒かったが、
また、素晴らしく清潔で、簡素だった

春も、夏も、秋も、
全てが冬のためにあるやうに思へ、
そして、私達はいつも冬を待ち、
その年の冬のためにいくばくかの蓄えをした

       Nov. 1973   南風泊通信

 

編集後記


TOP ページへ