Dr. Jack T. Moyer (1929-2004)

03/12/04        もう、嘆くのは止めます

 1983年、2年ぶりに三宅に行ったとき。TMBSのダイニングルームで、マーサ(右)が作ったクマノミの絵入りTシャツをもらって喜んでいるところです。普段はテーブルクロスなど使っていませんが、この晩はwelcomeback party ということで飾っています。しかし、僕はランニングシャツという正装?モイヤーさんのTシャツは、ニザダイのイラスト入りTMBS 純正のものです。撮影は 故 Kathy さん。彼女のことはまた、次の機会に。
 あのすさまじい音でなっていた壁掛け電話、三宅島のレリーフ地図にはジャックが力比べで握りつぶした時に飛び散った白身の跡が残っていました。彼は大リーグ入りを希望して位でしたから、力がとても強かったです。

 この夏は、キンギョハナダイ、コウベダルマガレイ、テンスモドキを調べました。また、本会の講師である麻生一枝さん、吉川朋子さんに初めてお会いしたのがこの夏でした。このこともまた別の機会に。

最近では、1999年と2001年にここを訪れました。

 1999年は彼と一緒でした。2001年は海野さんと一緒に、中には入れず、外から見ただけでしたが、余り痛んではいませんでした。東京に戻ったら、彼が浜松町まで迎えに来てくれ、海野さんと3人でビールを飲みました。少し、錆びたTMBSの写真を見せると、「そんなに悪くないだよ。椿が枯れているけど、この木は嫌いだったから丁度良い」なんて、ウインクしながら話していました。

 1999年10月、サントモの前で、沖山厚子さんに写してもらった写真です。毎晩、毎晩、語り明かしました。魚類研究者同士としてではなく、血が通った兄弟のように感じました。学校や教師の話を良くしました。そして、「二人で本を書こう」ということになり、タイトルは、Teachers we have known:The bad and good of schools today。そこまで決めていたのに、時間は与えられませんでした。山本さんや秋本さんと一緒に彼の家の引っ越しもしました。ベッドのマットレスが重く、2階へ上げるのに苦労しました。それにはシミが付いており、「ジャッキーちゃんのおねしょ。ああ、会いたいなあ」と笑っていました。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 暑い夏、郵便局に出かける時、グラントは舌を出し喘いでいました。いつもは直ぐにジープの助手席に飛び乗ってご機嫌になるのですが、暑いときは嫌なのでしょう。彼は、グラントを見下ろしながら「よーごさん、Hot dog だよ」なんてちゃかしていました。

 ことあるごとに、彼の姿と声を思い出します。庭に出て深呼吸すると、彼の息が化石となって、その中にあると確信できるような気がします。本当に素晴らしい人でしたね。そういう人と、色々な時間と思い出を持てたことに感謝し、彼を巡る人の輪の中に自分がおり、彼を語り合える友人と出会えたことに、今、一層の喜びを感じています。

                             余吾 豊


03/09/04

「モイヤーさんを偲ぶ会」に参加し、昨夜、戻りました。

神田優さんが主催される黒潮実感センターのMLで振られましたので、挨拶文を流しました。少し様子をお知らせするため、以下、貼り付けます。

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会場は人で溢れ、席が足りず、大変な混みようでしたが、とても静かに会が進行しました。40数名ものボランティアの方が協力して下さり、発起人の一人として、多くの参列者の方々へと併せ、共にお礼を申し上げたいと存じます。

参列者の皆様の年齢幅がとても広かったことが、モイヤーさんの活動の奥行きを感じさせたと思います。短いスピーチをさせていただきましたが、静かに聞いて下さり、また、時々、頷いても下さり、とても話しやすく、嬉しく思いました。

僕はモイヤーさんが良く口にされていた言葉を一つ紹介しました。

色々なトラブルに向き合ったモイヤーさんですが、話が決裂しようとする最後に、彼は必ず、「もう一度、考えてみて下さい」と相手に伝えていました。その賢さ、謙虚さ、そして、最後まで匙を投げない強さ、それが僕がお伝えしたかったことです。

最後まで匙を投げないと信じていました。ですから、僕は9日の夜に起こったことを今でも信じることができません。それは、これまで僕が知っていたモイヤーさんの心配事や将来への不安、そうしたもの以外に僕が最後まで伺い知れなかった何かがあったのかということが僕自身、整理が付かないからです。
人の死にいたる経緯をあれこれ詮索するのは良くないことでしょう。そういうことはしませんが、どうしても、まだ、あきらめきれないのです。

この会は多くの人の力で成功したと思いますが、事務局代表の海野さんご夫妻の努力は並大抵のものではありませんでした。そして、ご夫妻には、まだ、ゆっくりモイヤーさんを偲ぶゆとりはないでしょう。この場をお借りして、海野さんご夫妻に深くお礼の気持ちをお伝えしたいと思います。

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アンダーウォーター・ナチュラリスト協会
代表 余吾 豊
〒811-4175
福岡県宗像市田久687-2(有)水交舎内
0940-38-0139(Fax:0140)
0940-33-2274(自宅)
090-9405-1854
suikosha@mx2.tiki.ne.jp
http://www.aunj.org



02/20/04
「Thank You Jack: モイヤー先生を偲ぶ会」

 三宅島の自然と人のすばらしさを紹介し、海の環境を守ることの重要性をさまざまな形で私たちにメッセージとして託してこられたジャック・モイヤー先生が、今年1月10日に亡くなられました。このたび、先生に多くを学び、また楽しい時間を共にしてきた友人知人たちが発起人となり、「Thank you Jack モイヤー先生を偲ぶ会」を開催することになりました。
 当日は、献花、スピーチ、ジャズ演奏、写真パネル展示などを予定しております。多くの皆様にご参加いただき、モイヤー先生を偲ぶ時を共にできましたら幸いです。

平成16年3月7日(日)
14:00〜17:00
会場:ホテル海洋 パシフィックホールB1
東京都新宿区百人町2-27-7
電話 03-3368-1121(代表)
会費:3,000円(中学生以下は無料)
受付は、当日会場で行います。

◇発起人<五十音順>
荒井真治(新聞記者)                   
市田則之(バードライフ・アジア代表)
上松幸男(三宅島観光協会会長)              
海野義明(オーシャンファミリー副代表)
岡島成行(社団法人日本環境教育フォーラム専務理事)    
岡田達雄(NPOグローバル・スポーツ・アライアンス常任理事)
鈴木海花(フリーランス ジャーナリスト)         
高砂淳二(ネイチャーフォトグラファー)
佐山雅弘(ミューザ川崎フォールアドバイザー)       
永井タケ子(三宅島関係者、町田市立南つくし野小学校校長)
中村宏治(日本水中映像株式会社代表取締役社長)      
中村泰之(前三宅小学校教諭、現大田区立矢口小学校教諭)
西田 睦(日本魚類学会会長)               
早川 滉(株式会社早川書房役員)
福田龍介(キャンベイ・インコーポレーティドディレクター) 
松浦啓一(日本魚類学会副会長)
油井昌由樹(Y・U・I SUNSET OFFICE代表) 
余吾 豊(アンダーウォーター・ナチュラリスト協会代表)
横山耕作(OWS代表理事)

◇交通
☆電車利用
JR中央総武線大久保駅北口下車徒歩1分
JR山手線新大久保駅下車徒歩5分
☆自動車利用
 首都高速新宿ICより都道小滝橋通り線
 約3キロ約10分

◇連絡先
 「モイヤー先生を偲ぶ会」事務局 海野佳子
 〒240-0111 神奈川県三浦郡葉山町一色683
 電話・FAX 046-876-2393(9:00〜17:00)
 E-mail yunno@r8.dion.ne.jp



01/15/04

 1月9日の夜、ジャック・モイヤーさんがお亡くなりになりました。
皆さんと一緒に彼の冥福を祈りたいと思います。


在りし日のモイヤーさん(1980年ごろ)
三宅島阿古、田中達男記念生物実験所にて 撮影:余吾 豊


この写真は、彼の70才の誕生と「覗いてみよう海の中」の出版をお祝いしたパーティでプレゼントしましたが、「いつ、こんなのとっただよー?もう一枚欲しい」と、とても気に入っていました。飾らないお人柄が出ており、僕も好きな写真です。

 ここに好きな詩を紹介させて頂きます。

      すべての物質は化石であり、

      その昔は一度きりの昔ではない。

      いきものとは息をつくるもの、

      風をつくるものだ。

      太古からいきもののつくった風を

      すべて集めている図書館が

      地球をとりまく大気だ。

      風がすっぽり体をつつむ時に、

      それは古い物語が吹いてきたのだと

      思えばいい。

      風こそは信じがたいほどやわらかい、

      真の化石なのだ。

                  谷川 雁 

               
  
 彼の存在をいつまでも我々の心の中に残していけるように。

補注:正しくは独立した詩ではありません。谷川 雁 著“ものがたり交響”から、星野道夫さんが「旅をする木」に引用した文章です。

 モイヤーさんについての記事は、今後も更新を続けます。

08/04/03

 福岡県筑前大島で開催された「海辺の自然学校 in 大島」を無事終了し戻ってきました。
 モイヤーさん、オーシャンファミリーのスタッフ、主催者の国土交通省の担当者、大島教育委員会などの方々と協同しながら、24名の小学6年生とスノーケリングで海の生物観察を行いました。
最終下見をした29日は大雨で、海は濁り、水温も23℃と下がってしまいました。痩せた子供はスーツががぼがぼで、可哀想でした。その後、天気は回復しましたが、北東風が強く、狙ったポイントでは潜れませんでした。
それでも、全員で29種の魚類を確認し、最後にアワビの殻で作られた修了証書を貰って子供達は喜んでいました。


観察した魚のリスト作りの指導を行うモイヤーさん


 最初は競泳するようにフィンをバタバタさせ、両手で水を掻いていた子供達も、半日後には両手を使わずに静かにキックするこつを覚え、スノーケリン技術は見る間に上達しました。
 モイヤーさんはミッドウェイの生物を紹介し、海に捨てられるゴミが海鳥に与える害をお話しされました。僕は大島の海の生物を同じ緯度に位置する三宅島の海と比較しながら、話をさせて貰いました。



『モイヤーさん三宅来島50周年記念パーティー』

日時 7/20(土)海の日
16:00-18:00(受付は15:30-)
会場 霞ヶ関ビル33F 東海大学校友会館

 三宅来島50周年記念パーティーに出席してきました。
パーティーが始まれば、ゆっくり話す時間もないだろう
と思い、30分ほど前に会場に行き、控え室でお話しし
ました。夏は心臓の状態が悪くなるとのことで、ちょっ
と元気がなかったです。

 会場には、50代、60代の人々が多く、殆どがモイ
ヤーさんの教え子であると思われました。
 教え子の一人である永井校長先生のお話が素敵でした。
そして、モイヤーさんのご挨拶がありました。自分のこ
とはさておき、三宅の将来を憂い、パーティを開いてく
れた方々へ声を詰まらせながら、感謝の言葉を述べて居
られ、目頭が熱くなりました。

  モイヤーさんと 左右の女性は僕の高校の同期生
(東京在住)で彼のファンでもあります。

  モイヤーさんは今日から座間味へ行っています。



VOICE OF JACK
1.Watching and Interacting
工事中



2. "The Lorna Moyer Ocean Institute (LMOI)"
3/6/02

モイヤーさんの家族

 本協会の名誉会員である、モイヤー氏より、アナウンスメントが
届きました。ご家族が住んでいるフィリピンのセブ島に海洋研究所
を作るという壮大な計画のお知らせです。奥さんのLorna さんのお
名前を入れてあります。
 昨年の秋に三宅島へ行き、調査の合間に冨賀にある田中達男記念
生物実験所(TMBS)に立ち寄りました。冨賀地区では火山灰の
堆積は島の北東側ほど酷くはありません。しかし、火山ガスによっ
て金属などは腐食が進んでいました。一昨年には、その建物の中で
モイヤーさんとお話ししたことが思い出されました。

 TMBSの玄関です。

  TMBSのキャビン。モイヤーさん個人の部屋があります。


 モイヤーさんは生活と活動の拠点を失い、今、東京の都営住宅に住まわれています。この施設では、研究者だけでなく、自然を愛する一般の方にもドアを開けています。私たちにお手伝いできることはないでしょうか?


The Lorna Moyer Ocean Institute

   At the sourthern tip of Cebu Island, just across a
narrow stretch of water from Sumilon Island, a coral and
bird sanctuary managed by Silliman University at nearby
Dumaguete, Negros, is a long, relatively undistrubed coral
reef, where dynamite fishing is unknown and where fish
and corals are abundant. A year ago, the Moyer family
acquired about 6 hectares of property along that coast,
including more than 1000 meters of seashore. In the
Philippines, the owner of coastal property also owns the
seashore and about 300 meters of reef offshore. Like all
of my projects in the Philippines, this belongs, legally,
100% to my wife Lorna. Lorna's plan is to develop it as
"The Lorna Moyer Ocean Institute (LMOI)". She has three
purposes:

(1 ) to develop educational programs for Philippine
fishermen and their children, with the emphasis on
education of children, based on similar programs I have
here in Japan;
(2) to try to develop educational ecotourism, with
Japanese nature-loving tourists, with ocean programs
similar to what I am attempting to do here in Japan; and,
(3) to make a sizeable section of our property and
reef available exclusively for marine research.

   With this in mind, she has frequent meetings with
the mayor of Oslob City, which has jurisdiction over the
area where our land is located. The mayor has begun
legislation on behalf of Lorna to declare the entire area a
marine sanctuary, which would give us the right to guard
it and remove illegal fishermen. There are about eight
families that depend upon our waters for food, fishing
illegally. Lorna hopes to be able to employ the eight
fishermen as guides, guards, and general helpers, thus
ending that problem.

   We have started on a plan to get funding for our
program for Philippine fishermen's children, and we have
received encouraging information that suggests that
some funding might be available by 2003; however, this
is, by no means, certain.

   The corals within Lorna's property are beautiful
and still relatively undamaged, except for minimal
anchor damage caused by the eight fishermen mentioned
above, all of whom are friendly, nice people, but who
live inextreme poverty, with large families. Thus, neither
Lorna nor I want to getstrict with them until we have
something to offer them. There are numerous reef fishes,
including "kumanomi" and "chairoyakko", representing fish
families that I have long been deeply interested in
labrids, chaetodontids, pomacentrids, etc., all available
within a few meters of shore. I have seen 11 species of
cetaceans within 40 minutes of Lorna's property (by
fishingboat), and I once observed "ogawakomakko" at
close range from our cliffs above the ocean. The famous
marine sanctuary at Apo Island is less than an hour by
boat, as is the popular whale/dolphin watching site at
Bais City, Negros, where I was formerly a consultant.
Our place is ideal for a marine research laboratory or
field station.

   But, I am now 73, and it is not easy for an old man
to fund such an institute, like I funded the Tatsuo Tanaka
Memorial Biological Station (TMBS) at Miyake-jima in the
1970s and 1980s. Perhaps someone knows of a
university, a museum, an NPO or NGO that might be
interested in developing amarine station in the Philippines.

   What is happening in Philippine watershas a direct
impact on the condition of Japanese reefs, and I believe
that LMOI offers an opportunity for the development of
both education and research programs of high quality.
   But we will need help!  Any ideas?
               Jack T. Moyer(Ph.D)

  ロルナ・モイヤー海洋研究所 
    

 Sumilon島からわずかに海を隔てたCebu島の南端に、Negros島DumagueteのSilliman大学が管理する珊瑚と野鳥の保護地区がある。この長く伸びた珊瑚礁はまだ環境破壊を逃れており、また、ダイナマイトによる漁も行われていないので魚類も珊瑚も豊富である。1年前に、モイヤー一家は、この場所に、1000メートルの海岸を含む約6ヘクタールの土地を購入した。フィリピンでは、海岸に所有地を持つと、海岸だけではなく、その約300メートル沖のリーフまで同時に所有できることになる。フィリピンにおけるわたしの研究事業については妻のロルナが100%法的権利を持っているが、この所有地についても同様に、法律上の所有者はロルナである。 ロルナの計画というのは、この地に「ロルナ・モイヤー海洋研究所(LMOI)」を作ることであり、その目的は3つある。

(1)フィリピンの漁業関係者とその子どもたちの教育、特に、日本でわたしが行っているのと同様に、子どもたちへの教育に力を入れたい。
(2)日本からの観光客、その中でも、自然を愛する人々と共に、自然保護に関する教育学習を行うこと。これは、わたしが日本国内で現在実現しようとしている海洋教育学習も含んでいる。
(3)わたしたちの所有する土地とリーフのうちかなりの部分を海洋研究専用にすること。

 この計画を実行に移すために、ロルナはOslob市長と会見を重ねている。(わたしたちの所有地はOslob市の管轄圏内にある。) 市長は、すでに、ロルナの代理人として、わたしたちの所有地を含む地域一帯を正式に海洋保護区とする手続きを始めている。この法案が通れば、わたしたちは、法的権利を持って所有地を守り、不法な密漁者を追い払うことができるようになる。わたしたちの所有海域で密漁をしているのは8家族だが、彼らはそうしなければ生きて行くことができない。ロルナは、彼らに、ガイドや監視員として働いてもらったり、また、その他の仕事を与えることによってこの問題を解決したいと思っている。

 ロルナとわたしは、フィリピンの漁業関係者の子どもたちの教育のために資金を集める計画をもうすでに始めていて、2003年までにある程度の資金が得られるだろうという嬉しい報告も受けているが、これはもちろん、まだ確実なことではない。わたしたちの所有海域内の珊瑚は美しく、まだそれほどダメージを 受けてはいない。すでに述べた8人の密漁師の船の錨によって小規模に傷つけられている程度だ。この漁師たちはみな、人なつっこい、いい人々なのだが、大変貧しく、しかも大人数の家族を抱えている。 だから、彼らに何か仕事を与えることができるようになるまでは、わたしたちはうるさいことは言わないようにしている。

 この海域にはリーフ・フィッシュが豊富で、わたしが永年熱心に研究を続けて来たベラ類やチョウチョウウオ類やスズメダイ類を代表する「クマノミ」や「チャイロヤッコ」なども海岸から数メートルの場所で見ることができる。また、釣り船で40分ほど行った場所で11種のクジラ類を見たこともあるし、所有海域内の海の上に突き出ている岸壁からごく真近に「オガワコマッコウ」を観察したこともある。Apo島の有名な海洋保護区は船で1時間足らずの距離だし、Negros島のBais市にある、名高いクジラ・イルカウオッチング地点にも同じくらいの時間で行くことができる。ここは、わたしが以前コンサルタントをしていた場所である。このように、わたしたちの所有地は、海洋研究やそのための研究所を作るのに理想的な場所にある。

 しかし、わたしは73歳であり、この年で新たに研究所の資金集めをするのは1970年代、80年代に三宅島で田中達男記念生物実験所設立の資金集めをしたのと同じくらいに難しいことである。フィリピンに海洋研究所を設置することに興味を示してくれるような大学か博物館かNPOかNGOに、どなたか心あたりはないだろうか。フィリピン近海の状態はただちに日本のリーフ環境に影響を与えることを考えると、LMOI(ロルナ・モイヤー海洋研究所)は、この分野における教育の発展にも研究の発展にも大いに貢献するものだと思う。だが、わたしとロルナだけではどうすることもできない。何かいい考えはないものだろうか。
                  ジャック・T・モイヤー

      訳:丸田しらべ 文責:AUNJ事務局/余吾 豊

モイヤーさんのプロフィール

1929年アメリカ合衆国カンザス州に生まれる。
少年時代をカンザスの大草原やカナダとの国境近く、ウィスコンシン北部に残る深い落葉樹林の森などの大自然と共に過ごし、
そのことが後のナチュラリストとしての基盤となる。

1952年、生物学と東洋学を学んだニューヨーク・コルゲート大学を卒業、その後朝鮮戦争の期間をアメリカ空軍の一員として
過ごした後、ミシガン大学において魚類学の修士号を取得。さらに1984年、東京大学において珊瑚礁に棲む魚の繁殖生態に関する研究により博士号を取得。

1952年、当時アメリカ空軍による爆撃訓練の演習地とされていた三宅島南西沖の岩地・大野原島(通称三本岳)を繁殖地とする世界でも貴重な海鳥・カンムリウミスズメを救うため、当時の米トルーマン大統領の側近に爆撃中止を訴えた手紙を送る。その結果、爆撃訓練は中止され、このことをきっかけに三宅島の人々との長年に渡る交流が始まる。後に島の名誉村民となる。

日本の野生生物の保護に関する貢献は広く、これまでに環境庁、日本野鳥の会、また世界自然保護基金日本支部からの表彰を受ける。1996年には朝日新聞より、海における環境教育活動への貢献に対して初のAnnual Ocean Awardが授与される。
1998年2月、海洋生態学のフィールドにおける長年に渡る貢献に対し、株式会社SMHジャパンにより、オメガ創立150周年記念の表彰を受ける。また執筆活動も広く学術的なものから一般向け雑誌に至るまで、これまでに300以上に渡る論文を発表している。

「ジャック・モイヤーのネイチャーワークショップ」
 過去にはアメリカンスクール・イン・ジャパンにおいて教師、また5年間に渡って副校長を務め、現在までに同スクール、また日本魚類学会の役員を務めた。現在は三宅島ネイチャーセンター(アカコッコ館)、並びにフィリピン・ネグロス島・バイス市の環境顧問として務める他、鳥羽水族館、日本水中映像(株)の科学顧問、またアメリカンスクール・イン・ジャパンにおける野外教育顧問、そしてJR東日本・AQUAのエコツアーの顧問として幅広く活動する。またコラムニストとして、月刊誌等にも執筆を続けている。

 三宅島では1970年以来、田中達男記念生物実験所の所長を務める。
 さらにIUCN(国際自然保護連合)・種の保存委員会における生物多様性保全のための特別委員として選出される。1998年2月、東京都により、2年間の東京都観光事業審議会の委員として選出される。またスイス・ジュネーブにあるFoundation for Environmental Conservation により、地球環境保護に貢献する世界の学者・専門家1300人のうちの一人に挙げられ、世界初の出版となった"World Who is Who and Does What in Environment and Conservation" Earthscan, London, January.1997. にその名前が記される。
又、1999年発行の "Who's Who in the World" にもその名が記載された。

一方、幼い頃より親しんできたジャズボーカル/ピアノでもくろうとはだしの実力は世に知るところ。
2000年8月。ビクターエンタテインメントより「地球の子供たちへ」という、三宅島の自然音をふんだんに使用したアルバムを発表。
発表に至る前に三宅島に噴火が勃発、その売り上げの一部を三宅島アカコッコ基金に振り当てることとした。

現在は都内の都営アパートに仮住まいをしつつ、三宅島の復興に尽力をつくしている。
著書:
『モイヤー先生、三宅島で暮らす』(1993年 どうぶつ社) 
『海を楽しむ』(1994年 岩波書店)
『さかなの街』(1994年 東海大学出版) 
『南の島から日本がみえる』(1995年 岩波書店)
『御蔵島のイルカ』(1997年 海游舎) 
『サンゴの海』(1998年 フレーベル館)
『のぞいて見よう 海の中』(1999年 海游舎)その他。
http://www.sunset.gr.jp/miyake/profile.htm

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