東伊豆におけるキタマクラの産卵−2.産卵床の意味
石田根吉・瓜生知史・余吾 豊


(はじめに)
 前報では、東伊豆の伊東市沿岸で観察されたキタマクラの産卵行動を紹介した。本報では、産卵床と卵保護行動について述べる。
【調査場所と方法】 

 潜水観察を行ったのは、伊豆海洋公園、富戸、赤沢の3地点で、1997年7月29日から2003年7月27日に、これらの場所でSCUBA潜水により調査した。潜水時間は漁協などとの取り決めで午前8時40分から午後4時30分までと限定されており、その範囲で行った。この調査期間内においては個体識別は行わなかった。2003年に産卵後の卵の所在と卵保護の有無に焦点を当てて観察を行った。また、卵が附着していた海藻を採取し、海藻の同定を行うと共に、卵の同定と受精の有無を調べた。

【結果】 
1) 産卵基質
  キタマクラは多くの場合、岩礁域の海藻、特に丈の短い糸状紅藻類を産卵基質として選ぶ。そこで、実際に産卵が行われた海藻を採取し同定したところ、ユカリを中心に、クロトサカモドキ、イバラノリ、マクサなどであった。メスは産卵前に、この紅藻類の同じ場所を口で突
き続ける。その結果、紅藻には直径3cm程度の窪みが生じる。そして、放卵・放精はこの窪みに向けてなされた。ところが、放卵と同時に窪みの辺りから卵が勢いよく溢れ出しているのがしばしば観察された。

2)卵の所在
 キタマクラのペアによる放卵・放精後、この海藻の窪みを覗き込んでも、卵と思われる物は見出せなかった。そのため、沈性粘着卵と言われながらも粘着性が弱く、その殆どは放卵と同時に流れ出たものと当初は考えていた。
 ところが、この窪みから4〜5cm離れた紅藻上に白く輝く微小な透明球が多数付着している事に気付いた。特徴的な白い油球同士が癒合する特徴(荒井・藤田、1989)からキタマクラの卵であると考えられた。(図1)


図1. 紅藻に付着したキタマクラの卵群、富戸、Aug. 11, 2002
kitamakura2-1.JPG

更に、この卵を採取し顕微鏡観察した結果、卵径は0.7mm程度であり、キタマクラの卵であると判断できた。(図2)


図2. 採取したキタマクラの卵 (産卵1時間後)、富戸、Aug. 11, 2002 
kitamakura2-2.JPG

 これら海藻に付着した卵はそれまで観察していた際でも存在していたものと思われるが、肉眼で見えるのが微小な白い油球部分だけであること、海藻の窪みでは付着卵の密度がさほど高くない事から気付かなかったものと思われる。その後の観察では、キタマクラの放卵・放精後の海藻には必ずこれらの付着卵が認められた。付着卵は、海藻の窪みから数センチ離れた場所で高密度に見られる場合が多かった。しかし、窪み付近の海藻を産卵後に取り除いてみると、奥に多数の卵が固まっているのが見られた事もあった(図3)。


図3. 海藻を指で押し広げると現れた卵塊、富戸、July 27, 2003 
kitamakura2-3.JPG

 このことから、付着卵の分布は、海藻の表面だけではなく、垂直方向にも更に精査する必要があると思われる。
 また、これらの付着卵に手で扇いで水流を送ると、3割程度の卵は簡単に水中に舞い上がった後、非常にゆっくりと沈んで行った。こうして舞い上がった卵を捕食する魚種は認められなかった。

3)卵の受精
 海藻の付着卵を採取し観察したところ、受精後2時間の時点で9割以上の卵で囲卵腔が認められたことから、これらの卵は殆どが正常に受精していたものと思われる。更に、採取した卵を23〜24℃の水温にて飼育したところ、およそ100時間で殆どの卵が孵化した。仔魚は、卵黄付近の油球の分布、尾部の黒色斑紋など、既に報告された形態(荒井・藤田、1988)とよく一致した。以下も参照下さい。
http://homepage2.nifty.com/ALABAMA/log/log-2003/log-030629-4.htm

4)産卵後のメスの行動
 観察を始めた当初は、放卵・放精後のキタマクラのペアはその場をすぐに離れてしまうと考えていた。ところが、放卵後に産卵床を一旦離れた後、再び同じ場所に戻って来るメスが居る事に気づいた。戻って来たメスは、産卵床の窪み付近を中心に直径10cm程度の円を描きながら泳ぎ始め、その際、腹部はかなり緊張しているように見え、背鰭、胸鰭、臀鰭を激しく振っていた。この行動は普通2〜10分程度続いた。中には産卵後すぐにその場で回り始めるメスも居た(図4)。また、場合によっては回転せずにその場でホバリングする例もあった。


図4. 産卵後に産卵場所の周りを回転するメス、富戸、June 29, 2003 
kitamakura2-4.JPG

メスのこのような行動はキタマクラにかなり一般的な行動だと考えられるが、これまでは放卵・放精の後すぐに我々が産卵場所に押し寄せて覗き込んでいた為にメスの接近を妨げていたのだと考えられる。或る程度離れて産卵行動を観察するようにすると、メスのこの行動はかなり高確率で見られるようになった。
 
メスのこの回転の後に産卵場所を覗きこむと、慣れた目では比較的見やすい筈の付着卵がかなり見難くなっている事に気付いた(図5)。


図5. 産卵後の回転の後にメスが去った産卵場所。白く輝く筈の卵が非常に見辛い、
富戸、July 21,2003 kitamakura2-5.JPG

回転中のメスの鰭の動きによって卵が飛ばされたのかとも考えたが、その海藻を採取してみると卵は確かにまだ多数が付着していた。但し、その表面に砂粒が付いた卵が多く、このために見難くなっていたものと思われる。

5)産卵後のオスの行動
 上記のメスの回転行動は産卵場所に戻ってきたオスによって終了(中断)させられた。放精後に一旦産卵床を離れたオスは再び帰って来て、クルクル回っているメスを見つけるとそれを激しく追払った。メスを中層に追い上げて強烈なT字ホバリングを見せることもある。それは、前報で報告の挨拶行動と考えられるT字ホバリングより遥かに速く回転した。また、場合によっては産卵後すぐにメスを追い払う場合もあった。

【考察】
                          
・キタマクラの放卵・放精の間、大量の卵が海藻からあふれ出していた。よって、この窪みは卵の付着場所として十分に機能しているとはかんがえにくい。キタマクラの放卵は10秒程度続く事から、放精も恐らくその程度続いているものと思われる。但し、精子による白濁は認められない。あふれ出す卵の動きを見ていると、何らかの流れに乗っているように見えることから、かなり強い水流が生じている。卵や精子を送り出す勢いが強いのか、あるいはオスかメス、或いは両者が卵や精子と共に水を体内から射出しているのではなかろうか。そして、この窪みは、そうした水流と共に卵と精子をかき混ぜるミキサーの容器として働いているのかも知れない。

・産卵後にメスが産卵場所の周りをクルクル回っているのは、その後の卵の表面に砂粒が多いように見える事から、付着卵を隠す効果があるのではないだろうか。但し、メスの回転行動の間、特に砂粒が舞い上がっているようには見えず、また、付着卵がはがれているようにも見えなかった。

・メスの回転行動が卵の隠蔽行動であるなら、「キタマクラの卵を食べようとする生物がいる」ことが前提となる筈である。しかし、産卵直後の卵を狙う魚を見た事は今のところない。今後、孵化までの付着卵の変化や魚以外の捕食者の動きの観察も必要であろう。

・産卵後のメスによる回転を中断させるオスの追い払い行動の意味は不明である。

謝辞
 本稿をまとめるに当たり、(株)海藻研究所の新井章吾氏には海藻の同定を快く引き受けて頂き、貴重なコメントも受けた。沖縄県教育委員会文化課の浜口寿夫氏と千葉県自然史博物館海の分館の川瀬祐司氏には貴重なご助言を頂いた。

アンダーウォター・ナチュラリスト協会業績第3号