DIVING LOG-BOOK No.003

ログブックー薩南諸島
文 余吾 豊、写真 余吾・坂井陽一

5月27日(日)早朝に九州国際大の坂井陽一さんのワゴンで出発。九州自動車道で鹿児島へ。10時少し前に鹿児島市内へ入り、新港北埠頭へ。14時発、屋久島宮之浦港への鹿児島商船のフェリーは運転手のみ乗船可の貨物船なので、僕は乗れない。同じく鹿児島商船の高速船は1時と3時の便があるが、予約の窓口には長い列。聞いてみると、案の定、満席。

坂井さんが「どうします?」と心配顔。「キャンセルがあるかもしれんけど、鹿児島商船の貨物船になんとか乗ろう」というと、「でもー・・」と笑う。高速船の窓口でおねえさんに1時と3時のキャンセル待ちの人数を聞いてみると、1時の方が少ないそうで、それを取る。鹿児島商船の受付は10時半くらいからだそうなので、暫く、待つ。

窓口がいつまで経っても開かないので、裏口に回ってみると、開いている。事情を話すと、「混み方次第で・・1時半前になれば、わかるかな・・」と言う。なんとなく乗れそうな雰囲気。1時の高速船のキャンセル待ちを、3時の方に変更した。昼飯を食って、鹿児島商船の窓口に行ってみると、先ほどとは違う人が居て、何事もなく乗船OK。


【写真1 鹿児島商船】

高速船のキャンセル待ちを解約して、乗船。宮之浦港まで4時間。車は他に無人のトラックが1台。船室には、僕ら2人だけ。現在、同じ航路を就航している折田汽船の豪華フェリーの前に使われていたフェリーで、中は荒れている。自動販売機さえない。

天気が悪く、遠望がきかない。桜島もぼんやり。朝が早かったので2人とも寝てしまう。18時に宮之浦港に到着。予約してあった民宿「八重岳」に入る。さっと湯を浴びて、外をぶらぶらしていると、すぐ近くに、明日からお世話になる「屋久島野外活動総合センター」の建物がある。覗いてみると、若い女性が出てくる。コブシメ日記の浜崎宏美さんだった。5分ほど話して、「では、明日の朝、9時過ぎに」と言うことで、宿に戻り食事。

トビウオの卵巣、カツオとアオリイカの刺身、トビウオのすり身の「付け揚げ」、タケノコと豚の脂身の煮物、サワラの焼き物など。生ビールと島焼酎「三岳」で乾杯。良い気分で、10時前には就寝。

翌朝、屋久島野外活動センターの代表の松本毅さんとお会いし、こちらの目的を説明して、屋久島のダイヴィングポイントの概要を教えていただいた。この会社は、ダイヴィング、登山、ハイキング、沢登り、川や海でのカヤック、カヌー等の体験ガイドをしている。それから、志戸子という、浜崎さんのコブシメポイントに行き、岸からエントリー。

目的のゴンベ類は、サラサゴンベ2尾だけに終わったけど、色々面白い魚に会えたし、圧巻はコブシメとの遭遇。約25尾は居た。目の前で恋のバトルを繰り広げ、僕達が喜んでいるので、浜崎さんも嬉しそうだった。午後は、矢筈岬の元浦と言うところで潜った。潜った後は、滝川という温泉で潮を洗い流し、ビールを飲んだ。



【写真2 コブシメ】

片づけて宿に戻り、ご主人と話していると、「車で7,8分のロッジが空いて居ますから移りますか?」というので、是非と言うことで移動。宮之浦川の支流沿いで、杉と木生シダ類に囲まれた感じのいいロッジ。別棟に五右衛門風呂もあり、静かなこと。

翌29日は原と栗生と言うところで潜水、30日の午前は一湊と、計5回、全て違う場所で潜った。どこで潜っても、近くに温泉があるので、快適。一周2時間ほどの島だから、風が強くても、どこかに潜れる。川は沢山あるけれども、雨の濁りは出にくい様子。宮之浦川や栗生川を覗いてみると、川底が透け、周囲の緑が写り込み、とても、綺麗だった。


【写真3 栗生川】

30日の午後は、白谷雲水峡という沢沿いのハイキングコースを3キロほど歩いた。2代杉、弥生杉という樹齢3千年くらいの杉や、花が散った後のサクラツツジ、倒木を覆うコケ等、緑色の世界に浸って歩き、その中に所々、幹が赤いヒメシャラの老木が鮮やかだった。花の盛期は過ぎていたが、静かで、落ち着いていた。


【写真4 いなか浜】

31日は午前中に片づけ、ウミガメの産卵地で有名ないなか浜へ行った。ここから正面に口永良部島が見える。砂浜を歩いていると、白く丸まった塩化ビニールのようなものを拾った。薄くて弾力があり、どうやら、ウミガメの卵の殻らしい。

屋久島の宮之浦港からは、毎日、口永良部島と種子島へフェリーが出ている。13:10の船で口永良部島に渡った。前回は81年5月に広島大学の研究船で訪れたので、20年振り。屋久島からは約1時間半の航路。途中、トビウオ達が、波と音に驚いて、飛んで逃げる。港が大きくなり、船も大型化していた。この島は活火山。

島であばら屋を借りて研究している広島大学生が2人、迎えに来てくれた。宿は貴船さんという人が自力で建てている家。船が着く南側の本村港から細い上り坂を登ると、北側の西浦が拡がる。かって、75年から81年まで、僕のフィールドの一つだった湾だ。そこから、東に向かうと、貴船さんの家があった。古い学校を思わせる大きな宿舎と貴船さん夫妻のお家。犬が二匹。


【写真5 貴船さんの家】

近々、宿として、保健所などの認可を受けて正式に開業するそうだ。宿の棟は、150坪くらいの平屋、天井の高さは10m以上ある。中央が食事をしたりする大部屋で、ベランダからは東シナ海と煙を吐く硫黄島が雄大な眺めを見せてくれる。その西側に大きなミーティングルームと中、小部屋が3つ。食堂の東には、キッチン、トイレ、物置、中部屋が2つ、小部屋が1つ。これから、客用のトイレ、洗面所、風呂などを作って行くそうだ。専門家が手を出したのは電気配線だけで、後は全て彼の手になるもの。

夕方になり、庄二さんとベランダに座り、硫黄島を見ながら、ゆったりと酒を飲み始め、20年間のお互いの生活など、夜遅くまで話した。次の日は、貴船さんの末の娘婿、正さんの船で、潜りに行った。島の西端に近い亀が浦という場所。海岸の崖の上にはミサゴが巣作りしていた。海底は、起伏に富む岩礁で、海底の岩の割れ目から温泉水がぷくぷくと湧きだしている。ウメイロモドキの群泳が見事。魚類相は屋久島と同じである。大きな岩が多いので、サザナミヤッコのハレムがよく分かる。

翌朝は、10時半の出航で、屋久島へ渡り、船を乗り継いで鹿児島港には夕方5時半着。帰りは遠望が効き、竹島、黒島、種子島、佐多岬、開聞岳などよく見えた。桜島の近くで、カマイルカの赤ちゃん達がウエイクに戯れて、ジャンプを繰り返していた。

短い行程だったが、屋久島で初めて潜り、口永良部島を久しぶりに訪問することが出来た。松本さんや浜崎さんとお会いでき、屋久島の海のことを色々と教えていただいた。ターゲットだったゴンベ類には見事にふられたけれども、魚には注文を付けることが出来ない。

僕はどうしてもベラ類に目がいってしまうのだが、直線にして120キロ離れた(緯度では1°弱)坊津と比べると、屋久島はススキベラ属、ニシキベラ属、ニセモチノウオ属が多いなと感じた。特にススキベラ属は幼魚が多い印象を受けた。両者では共通種も多いが、坊津に普通にいるカミナリベラは屋久島ではアカオビベラとオニベラに、イトヒキベラは、クロヘリイトヒキベラに、ホシササノハベラはアカササノハベラに置き換わっているように思う。ヤンセンニシキベラは、屋久島が九州近海の北限ではないかと思う。また、やや珍しいベラ類のセジロノドグロベラ、トモシビイトヒキベラ、ニシキイトヒキベラ等は割と普通に見ることが出来る。こうした近似種の置き換わりは、テンジクダイ科やスズメダイ科でも見られるように思う。大隅海峡が一部の魚種にとってボーダーラインになっている感じを受けた。オキゴンベがいないのもそのせいかも知れない。

九州西岸や薩南諸島、トカラ諸島は、ダイバーが少なく、情報の少ない海域である。男女群島、甑島、宇治群島、草垣群島、三島(竹島、黒島、硫黄島)等は殆ど未知ではないだろうか?勿論、行った人はかなり居るだろうが、情報が残されていないのである。今後、もっと多くの人々によって、魚類相のデータが集まることを期待したい。これらの海域では、屋久島野外活動総合センター、口永良部島の広大研究室、奄美の多羅尾さんなど、本会会員の方々もそれぞれ拠点を持っている。今後、情報交換の輪を広げ、本協会で情報を蓄積していきたいと考えている。

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