LET'S STUDYING


WEB SEMINARの新シリーズです。「和名を考える」編を連載します。

次のような順序(予定)で進めたいと思いますので、お付き合いください。

はじめに
1)和名を付ける過程-1
2)和名を付ける過程-2
3)和名の問題
4)分類と採集

生物の分類 

1)和名を考える

図1.ハシナガベラ Yogo and Tsukahara (1980)より

【はじめに】

次々に、新種か!?と銘打った写真が雑誌やネット上に登場し、それ
を求めて沢山のダイヴァーが探しに出かける.珍しい生物の居る場所へ
案内してお客に見せる技術を持ったガイドやショップが人気を集めて
います。その一方で身近なフィールドで生態観察を続ける方も居ます。
楽しみ方、接し方はさまざまです。

こうして、次々に発見される稀種は、研究者も気付いていますが、そ
れを調べ、新種や日本初記録種であるかを確かめ、論文にまで仕上げ
るのには長い時間がかかります。正式な学名や標準和名が定められる
までには、既に、マニアの間で、通称や仮称と言った便宜的な名前が
地位を得てしまいます。その名付け親は居るのですが、いつの間にや
ら、あやふやになることもあります。

やっと、整理を終えた研究者は、論文ではその名前を使わずに、自分
で命名することもあるでしょう。その場合には反発する動きが当然で
ます。

こういった問題や、和名の名付け方の問題について神奈川県立博物館
の瀬能さんと勉強できる場を設けようと言うことで準備を始めました。

標準和名を命名する行為も、学名を命名する行為も、基本的にやって
いることは同じであり、学名でおこる問題は標準和名でも同じように
おこるということ、学名には国際動物命名規約があるけれども、標準
和名は日本の研究者の慣習によるものです。

最初に、僕が標準和名を名付けるまでの手続きを紹介します。
日本からの初記録種として、ベラ科のハシナガベラとヒイラギ科のコ
バンヒイラギで経験があるので、その時の経緯を素材にします。コバ
ンヒイラギは初記録なのに、既に和名があったのです。何故か?
それは、台湾が領地だった時代に、日本人研究者が台湾から報告した
ためです。

【和名を付ける過程-1】

ハシナガベラは、1928年にフィリピン諸島とセレベス島から得られ
た5個体の標本を基に、Fowler と Beanにより新属、新種として記
載された。標本は1908から1909年のアルバトロス号の航海で採集
されたものである。
属名の Wetmorella は、アメリカ国立博物館の Alexander
Wetmore 博士にちなんだもので、種小名の philippina は採集地の
フィリピンに由来する。

それまでに認められていたベラ科魚類の属ではなく、新属が提唱され
た理由は大きな鱗が頬を覆う特徴によるものである。このように他と
識別点となる形態的な特徴を標徴と呼ぶ。Fowler and Bean (1928)
では、一見すると本種がギチベラの幼魚と似ていると記されている。

1977年の10月、僕は沖縄県八重山群島の黒島で、ベラ類の採集を行
っていた。さて、黒島の海中公園八重山研究所で標本の整理をしてい
ると、知らない人が二人近付いてきた。北里大学の井田先生と、彼の
お知り合いの水島さんという人だった。話をしているうちに、「明日
桟橋の工事の事前調査で、海底を爆破するから、魚類にどんな影響が
出るか調べに行く。手伝ってくれないか」という。喜んで付いて行っ
た。潜水夫が浅瀬にダイナマイトを仕掛け、爆破の後、小さなボート
で近づくと、色々な魚が浮いている。これらを、網で掬いながら井田
先生は「これは知ってますか?」と質問しながら、僕が知らないもの
について名前を教えてくれる。その後、潜って、沈んでいる魚を集め
ボートに戻ると、水島さんが小さな魚を手のひらに載せて、「こんな
のが流れてきましたよ」と見せてくれた。

Schultz and Marshall(1954)は Wetmorella 属魚類の総説を出し、
3種の新種を記載し,Wetmorella 属魚類を計4種に整理した。この
論文と照らし合わせると、黒島で得られたのは、Wetmorella
philippina
であることは間違いなく、それまでに日本沿岸から記録
がないこともはっきりした。
これを初記録種として報告し、和名を提唱する事は問題ないだろう。
しかし、Smith (1957)の論文をチェックしていると、Schultz and Marshall(1954) が新種として記載したW. ocellata と本種との識別
がやや不明確なことに気がついた。尾鰭の黒点の有無がキーとなるの
だが、中間的なものもある。また、Smith (1957) はW. ocellata
正当性(他と識別できる種なのかどうか)を疑っていたのである。

【和名を付ける過程-2】
当時、三宅島のモイヤーさんのお弟子さんで、日本産のベラ科魚類を
調べていたジョン・シェパード君が、グアム大学に進んで研究を続行
していた。グアム大学の博物館に保管してある W. ocellataとラベル
の貼られた標本を比較研究のために送ってくれた。
10個体の標本が届き、さらに、井田先生は黒島から2個体を採集し、
送ってくれた。これら併せて13個体の標本を調べてみると、鰭の棘や
軟条の数には全く差が認められず、尾鰭の黒点は、グアムの標本では
10個体中、1個体だけにみられ、黒島の3個体には全て存在していた。
これらから、尾鰭の黒点は識別点になるかも知れないと思われたが、
フォルマリンに浸しておくと、段々に薄れて行くのが分かった。つま
り、新鮮な状態で比べないと、この黒点の有無は識別点にはならない
のである。

報告の意義は、日本沿岸に本種が分布することであるが、近縁種との
関係を探る良いチャンスでもあった。この検討をしている内に時間が
かかり、魚類学雑誌に投稿したのは1980年の始めになってしまった。
採集から、投稿まで約2年余りかかり、印刷されたのは1980年の8
月だから、論文として公表されるまでに3年近くかかったのである。
和名は、特徴を示す分かり易いものと言うことで、吻が尖ることから
「ハシナガベラ」とした。

その後、Randall(1983) が Copeia に、Wetmorella 属魚類の総説
を発表した。それを見て驚いたのだが、ハシナガベラの学名は、 W. nigropinnata (Seale) となっていたのである。

これには理由がある。
本種を最初に報告したのは、Seale (1901)だったのである。場所は
グアムで、シ−ル博士は、この魚をCheilinus(モチノウオ属)の仲
間と考え、Cheilinus nigropinnatus という学名で報告していたの
である。そのことに僕が気がつかなかったのだけども、これは仕方が
ないと思う。従って、ハシナガベラは、属は Fowler and Bean
(1928)が提唱した Wetmorella になり、種小名はnigropinnatus
に先取権があるので、nigropinnata(語尾は属名に従って変化)と
なる。命名者はSeale なのだが、属がその後変更されているので、
(Seale) というように括弧でくくられているのである。

現在、本属魚類は、インド−太平洋のサンゴ礁に分布する W.
nigropinnata
(Seale) とハワイ諸島に分布する W. albofasciata
Fowler and Bean の2種だけに整理されている。

以上が、およその経緯だけれども、新しい和名を付け、それが公表さ
れて地位を得るまでには、相当な時間と作業を要するものだった。採
集場所と日時のはっきりした標本を元にして行ったのだが、標本がな
いけれども明らかに存在がはっきりしている和名のない魚は研究者が
採集し、調べて標準和名を付けるまで、どういう扱いを受けるのだろ
うか?


注1:

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