LET'S STUDYING - 6(1)
 
 このセミナーは、BBSで話題になっている生物について、
  情報を提供し、会員の方からの質問を引き出し、さらにそれに
  答えていくものです。

      
魚類の性(SEXUALITY IN FISHES)

あくまで 予定

1.性が変わる
2.変わりやすいのか、変わりにくいのか
3.それはいつ決まる
4.何故、性を決めるのか
5.性の役割
6.性の謎
7.魚を見る時に、性を考えよう
8.もっと勉強したい方へ
9.性に関する理論
10.性の不思議 

   関連BBS:

【はじめに】

おそらく、このセミナーは恐ろしく長くなることでしょう。図など
も間に合っていないものも多いのですが、少しずつということでお
願いします。僕の研究史的な歩みになると思います。

 ”古きを尋ねて、新しきを知る・・、ん?”

 高校で生物を教えている時に、はっとしたことがあります。
それまで、水産という応用分野で、基礎的な研究はしていたものの
純生物学とは離れ、枝葉の末端で蠢いている虫のようなものだった
のではないかなと今は思います。自分が高校の時には習わなかった
DNAというしろものを改めて、しかも、あわてて勉強したもので
す。

 高校の生物は、5章から成り立っており、大部分の教科書が、細
胞から組織、器官、生物体、同化と異化、生殖、生物体と外部の環
境(恒常性の維持)、環境の中の生物群集、という構成で進んでい
きます。これは中学校でも同じです。小さいものから大きなものへ
と言う単純な基準でしかありません。逆でも良いのです。実際にそ
ういう実験的な授業をしたことがありますが、生徒は教科書の後ろ
から読むことを嫌がっていましたし、やりにくいのも事実でした。

 生殖のところで、無性生殖の授業をしていました。分裂や出芽等
によって増えていくものです。○が○と○に、その○と○とが、ま
たそれぞれ○、○に・・・」と黒板に簡単な絵を描いている時に、
「はて、これはいつまで続くのだろうか?最初の○はいつ死ぬのだ
ろう」という素朴な疑問が湧いたのです。一瞬、手塚治虫の「火の
鳥」を読んだ時の虚しさというか、狂おしい記憶を思い出しました

 生徒は、急に手を止めて黙っている僕をしーんと待っていました
「これでは、死ないなあー」という声を出しかけたけど、止めまし
た。女生徒だから特に嫌がるだろうなと思ったんです。僕も嫌でし
たし。こんなことは、後から本に書いてあるのを見つけ、ずっと前
から言われていたことを知りました。つまり「性があるから、生も
死もある」と言うことなのです。

1.性が変わる−ベラとの出会い−

 23歳になり卒論研究に入って、とにかく潜りたかった僕は、水
産実験所でベラ類の性転換と産卵生態の研究をしていた中園明信さ
んを頼り、自分のテーマというものが出来ました。オハグロベラの
性転換を調べては言うことでした。

 毎日、自転車に潜水道具を積んで恋の浦という磯へ行きました。
素潜りは前からしていましたし、釣りをしていたのでイラ、キュウ
セン、ホンベラ、ササノハベラ、コブダイ等のベラ類は知っていま
したが、オハグロベラは図鑑で見ただけでした。

 海の中で見つけるより、釣り人の魚籠の中に横たわっていたオハ
グロベラが最初の出会いだったのです。それは、後から知ったので
すがメスのオハグロベラでした。しかし、なかなか標本数が集まら
ずに、見かねた中園さんは、オハグロベラが多い天草に連れていっ
てくれました。

 とにかく、南で潜れるというので僕はルンルンでした。天草下島
の富岡には、九大の理学部実験所があり、そこを基地に出来るので
す。それはベラ類の雌雄性と産卵生態の関連についての長年のテー
マとの出会いでもあったし、カミナリベラという魚との出会いでも
ありました。

 さて、実験所の技官の方に船を出してもらい、釣りをすると、釣
れるは釣れるは、オハグロベラが一気に数十匹、もうこれで十分と
止めて、潜ると、天草の海。臨海実習で一度潜ったことがあるので
すが、その時は、もう目が違っていて、ベラばかり見ていました。
最初のスクーバでもありました。
 カミナリベラを見たとき、なにやら嘴の黄色いヒヨコのよう奴だ
なあ、すばしっこいなあと思いました。今では筑前海でも良く目に
しますが、この頃は、秋口に小型の個体が出るだけでした。

 とにかく、スクーバが便利なことに夢中で、はしゃぎ廻っただけ
で上がってくると、中園さんはカミナリベラを採集していました。
「群れの中の1尾だけど少し色が違う。それから、ニジベラがカミ
ナリベラを追いかけ回していたよ。もしかすると、オス、メスかも
知れないね」と言うのです。何のことやらさっぱりでしたが、とも
かく、そのカミナリベラをスケッチしてホルマリンに漬けました。
その日のフィールドノートです。


図1 1974年6月6日のノートより

 スケッチのように、カミナリベラに特徴的な胸鰭から後ろに走る
黒い縦帯や腹部の黒色点列が不明瞭で、胸鰭付け根の赤い斑紋が黒
く、背鰭の網目模様が無いのです。「オハグロベラよりこれに変え
てみんね」。僕は考えました。魚のことではありません。「毎日、
恋の浦へ自転車で行くより、ここの実験所に泊まって、綺麗な海で
遊んでいる方がいいな」、「費用はどうしよう」、「天草に一人で
いれば、就職のことからも逃げられるなー」などと。

 翌日、富岡から牛深の方に下り、下田の南、妙見浦というところ
で潜りました。綺麗だったですねー。津屋崎の海とは大違い。初め
て見たイスズミ、キハッソク、ソラスズメダイ、タカベなど。結局
綺麗な海の誘惑には勝てず、中園さんが科学研究費から交通費くら
いは何とか工面しようといってくれたことにすかさず乗り、「カミ
ナリベラをしたい」と伝えました。

図2 天草下島妙見浦(絵葉書から)
左の磯がポイントでした。

図3 カミナリベラとニジベラ(未発行)

 カミナリベラとニジベラ、帰って調べるとすごく臭い。
古い文献に当たれば当たるほど、同種の雌雄かも知れないと言う疑
いが強くなる。では、どうやって証明するか?それには、絶対に誰
にも文句を付けさせない方法を採りたいと思いました。それは産卵
するところを確認するか、変わるところを記録することです。生態
的な検証です。ベラ類がメスからオスへと性転換するのは一部の種
で分かっていますから、現象面はそれほど受け入れられがたくはな
いと思いました

 中園さんは5つの方法の案を提示してくれました。

1.カミナリベラとニジベラの標本を集め、色と性別をチェック。
 体長範囲も調べる。
 小さなものはカミナリベラタイプでメス、大きなものはニジベラ
 タイプでオスということを先ず確かめる。つまり、小さいときは
 皆カミナリタイプで、メスであるという情況証拠集めです。
 これは簡単そうだ。

2.そうだったら、雄の精巣を組織切片にして調べる。以前、卵巣
 だった精巣にはいろんな痕跡が残っている。それを写真に撮る。
 これは、性転換したオスという証拠です。組織切片作り・・・
 これは学生実験で嫌いだったのです。柔らかい卵巣組織ばかり与
 えられて、連続切片のリボンが切れて、イライラしました。
 これは嫌だなあ、でも冬の仕事だから、先の話だ。

3.両タイプの計数形質(脊椎骨、ヒレの条数、鱗の数等)に違い
 がないことをも確認しておく。これは、補強的な仕事です。

4.カミナリベラを飼育し、雄性ホルモンを投与し、体色・斑紋が
 ニジベラタイプに変わるのを確かめる。生態的な検証ーその1と
 言うことになります

5.両タイプが産卵する所を観察し、写真に撮る。
 生態的な検証ーその2。これが本命。

 これが絵に描いたシナリオでした。

  しかし、「潜水調査が初めてで産卵まで見ることが出来るかど
 うかは怪しいし、これは運によるかも知れない。従って、最低、
 1〜4までを卒論研究でやり遂げなさい」とのことで、指導教官
 だった塚原 博教授にテーマ変更を届け、天草富岡の実験所に利
 用許可願いを出し、スタートしました。

  へへへ、この時は簡単と思ってました。「卒論、でーきた」
 「オチャノコサイサイ、メニモノミセテヤル」不惑です。

  夏休みに長期調査を行う前に、色々と準備がありました。
 分類の文献集め、採集の練習、ホルモン注射の予備実験、水中写
 真の練習などです。それから、就職試験・・・

  さて、この1974年というと、ベラ類の性転換や繁殖生態など
 はどの程度研究が進んでいたのでしょうか?分類状況については
 「和名を考える」に少し紹介しました。雌雄の色彩の差違や性転
 換ではホンベラやキュウセンの犬尾(1936) や木下(1936)等に
 による研究がありました。
  性転換したオス(二次オス)の他に、生まれながらのオス(一
 次オス)が存在する事は、ドイツの(1967)による地中海のCoris
 julis
というベラの研究で明らかにしていました。
  
  産卵では、米国のRandall(1963)がカリブ海産のブダイ類に
 ペア産卵と群れ産卵があることを潜水観察によって初めて明らか
 にしました。その論文の中で博士はブルーヘッド・ラス
 Thalassoma bifasciatum も同じ2型の産卵をすることを書い
 ています。このベラについては、Reinboth(1973)が詳細な産卵
 生態の論文を出し、ハッセルブラッドの16ミリで動画撮影をし
 ています。

  また、地中海に生息する変わったベラ類についてはかなり古い
 生態研究があり、Symphodus 属のベラ類は、海藻で巣を作って
 オスが守ることが1960年代から報告されていました。これらの
 ベラ類の雌雄性は1980年後半になって明らかにされました。
  イギリスやスエーデン等の水温の低い沿岸にもベラ類は分布し
 ており、Crenilabrus Labrus といった属のベラが居ます。
 日本産のベラ類で喩えると、オハグロベラにちょっと似ているか
 なと言う感じです。これらのベラ類では、主に掃除共生のことが
 テーマとなっていました。

  日本産のベラでは産卵生態の研究はどうだったのでしょうか?
 1970年代より前に、潜水して魚類の生態研究をしていた人は
 ごく稀でした。奥野良之助氏、鈴木克美氏、布施慎一郎氏等の先
 駆者と新進の井田 斉氏、金本自由生氏、具島健二氏、四宮明彦
 氏、中園明信氏ではないかと思います。ジャック・モイヤーさん
 が海の中に目を向けるようになったのが1960年代の終わり。
  この内、ベラを手がけていた中園さんは九州北岸のベラ類の性
 転換と産卵行動を研究中で、すでにホンベラには一次オスと二次
 オスとが居り、2型の産卵をすることを確かめていました。続い
 て、ササノハベラとオハグロベラに焦点を移していました。これ
 らを学位論文としてまとめるためにデータを集めている時期に僕
 がドアをノックしたわけです。ほぼ同時期に柳沢康信氏、桑村哲
 生氏が潜水による生態研究のスタートラインに着きました。
  また、中園さんの同期である具島さんは、口永良部島のブダイ
 類やニザダイ類の混群の研究で、これまた、学位論文のデータを
 集めていました。
 
  一方、初期生活史の研究ではベラ類ではあまり進展がありませ
 んでした。卵や稚魚は採集されるのですが、固定しても残り、同
 定の大きな手がかりとなる黒色色素が少なく、手がかりとなる赤
 や黄色の色素は固定後、消えてしまうためです。最近でも、ベラ
 類やブダイ類の幼期の研究は遅れています。特にブダイ類は難し
 いようですね。

  こういった研究史を所々で挟みたいなと思います。
 
  天草行きを控え、津屋崎で刺し網を使ってホンベラを採集し、
 水槽に入れて雄性ホルモンを注射しました。人間の治療に使われ
 ている馬から採られたれたホルモン剤です。脊椎動物の間ではホ
 ルモンは共通の作用を示します。

  全く、気のない就職試験を受けて、落っこちましたが、それど
 ころか、僕は天草行きを控え、うきうきしていました。
 
  さて、富岡の実験所前の海でホルモン実験用のカミナリベラを
 採集しました。傷が付かないように川魚用の三枚刺し網を1枚に
 して追い込み、タモで掬いました。小さな水槽に、砂を敷き詰め
 6個の水槽に、1尾ずつを入れ、翌日、注射しました。その作業
 が終わると、中園さんは、いったん福岡に戻り、一人の生活が始
 まりました。

  翌日の朝、水槽を覗きに行きました。どの水槽のカミナリベラ
 も起きて泳いでいましたが、僕に気づくと直ぐ砂に潜りました。
 よーく手を洗い、ビーカーを持って砂を掘り、出てきたベラを掬
 いました。ベラ君はもうパニック状態でしきりにビーカーの底を
 つつきます。砂に潜ろうとしているのですね。どのベラも変化な
 し。フラゾリドンという消毒剤で薬浴して戻しました。

  温帯にいるベラの多くは冬眠します。キュウセンなどは有名で
 砂の中でじっと春を待ちます。ドレッジといって、海底の底生生
 物を砂や泥ごと採取すると、中からキュウセンの幼魚が出てきた
 ことがあります。

 朝の水槽の確認を終え、潜水調査の準備をして、バスの時間に合
わせて富岡の町にでて、モーニングサービスを食べ、バスに乗って
妙見浦まで行きました。1時間ほど掛かります。免許も車もない辛
さです。さすがにボンベは持っていけません。それに、初心者なの
で、一人でのスクーバは厳禁されていました。

 妙見浦で降りて、坂道を下り海岸へ。だあれも居ませんが、眼鏡
洋服を岩の裂け目に隠して、バス代はウエットスーツの内側に入れ
ます。ニコノスと刺し網と銛と水中ノートを持って泳ぎ、200m
程先に浮かぶ岩まで行きます。います、います、カミナリベラが。

 刺し網を斜面に張って、銛で追い込みます。いろんなベラを10
尾ほどかけ、そのままにして、少し離れたところで観察。ニジベラ
がカミナリベラを追い回しています。また、2匹のニジベラが並ん
で泳いだりしています。この時、体側に横帯が出ていました。時々
ニジベラがジャンプしたりしています。カミナリベラには、こうし
た行動は見られません。みんな群れています。

図4 縄張りの境界で平行して泳ぎながら威嚇し合うニジベラ



図5 群れて泳ぎ回るカミナリベラ

 白黒の高感度フィルムを入れたニコノスで撮影。当時は、水中ス
トロボはまだ出来てなく、フラッシュバルブしかありませんでした
が、中園さんは「君は感電しそうだからやめとけ」と冷たく、高感
度フィルムを増感するようにと言いました。コダックのトライーX
というフィルムです。

刺し網に戻ると、なーんということ!何が?

 刺し網は滅茶苦茶になっていました。しかも動いている。
何だろうと思って近付くと、太股ほどもある黄色いウツボが網に絡
まってもがき暴れている。網に掛かっていたベラを食べに来て、歯
が網に絡まったらしい。手銛で頭を刺したが弾力があり皮しか突き
抜けない。その内に折られてしまった。網の予備がないので、仕方
なくウツボの歯が掛かっている廻りの網を切った。ウツボは大急ぎ
で逃げていった。ぐしゃぐしゃになった網を回収し、岸に戻った。

 次の日、注射をして2日後、1尾のカミナリベラに少しだけだが
体色の変化が認められらた。その次の日には、別の3尾にも変化か
生じた。ニジベラ特有の綺麗なブルーの縦縞である。「びんご!」

その夜、勇躍、中園さんに電話した。この後、奈落の底へ。

 中園さんに成果を伝えると元気がない。聞くところ、東海大博物
館の展示水槽で、カミナリベラの何匹かがニジベラになったという
ニュースがあり、岸本浩和氏がすでに論文にまとめて投稿を済ませ
ているていると言う。従って同種性では価値がなくなったから、君
は産卵行動からその同種性の検証を深くやるしかないよと言うので
ある。

 実にショックだったです。何も知らないで有頂天になってました
からね。まあ、甘かった訳です。それに、早く気がついて良かった
ということもあります。
 まあ、Randall (1955)では、すでに同属のハラスジベラでの色
彩の2型が明らかになっていた訳ですから、早くこれに気がついて
おけば、もっと日本産ベラ類の色彩の2型は早く整理されていたの
でしょう。

図6 ホルモン注射後1週間目のカミナリベラ
個体により変化の程度が異なる。

 次の日から、せっせと産卵行動の観察に集中しました。飼育個
体の色彩変化の記録はとり続けました。中園さんも直ぐに来てくれ
て、8/15にペア産卵、8/16に群れ産卵を観察し、写真を撮
ることが出来ました。しかし、ペア産卵は動きが早すぎて、写真は
駄目でした。

 9月にも産卵の観察を続け、11月に採集を行いました。秋には
ニジベラ型のオスは、岸近くの転石帯に沢山おり、体色は緑色がか
り、くすんでいました。行動も緩慢で、それまで、逃げまくられて
いたニジベラ型を沢山採集することが出来、中園さんと「溜飲が下
がるね」と笑いあったものです。
 後から気がついたのですが、11月には産卵が終わり、性転換個
体が増えていたのでしょう。 

 フィールド調査は秋でいったんうち切り、標本の縦列鱗数や鰓杷
数等の計数形質を数えたり、生殖腺を取り出して、組織標本にした
りという退屈な作業を何とか終え、精巣の構造から、一次オスか二
次オスかを区別することが出来ました。この精巣の違いは、肉眼で
もかなり見当を付けることが可能で、一次オスの精巣は大きく、表
面がつやつやして白く、二次オスの精巣は細長く、表面が膜で覆わ
れ、やや茶色い感じでした。当時は、コピー機は湿式のもので、黒
ずんでおり、縮小、拡大も出来ませんでしたし、パソコンも文章を
書くのがやっとと言う時代で、全て手書きで、図の縮小などは白黒
写真にとって、焼き付けの段階で小さくすると言うなんとも不便な
ことでした。締め切りの前夜は徹夜で、やっと卒論が出来ました。
その成果は、1975年の水産学会で発表しました。

 これで、第1節を終了します。次節は、今、BBSで話題になっ
ているベラ類のTPオス、IPオスの話と絡めて進めてみます。


訂正
 サドルバック・ラスはブルーヘッド・ラスの誤りでした。  

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