LET'S STUDYING - 6(2)
 
 このセミナーは、BBSで話題になっている生物について、
  情報を提供し、会員の方からの質問を引き出し、さらにそれに
  答えていくものです。

      
魚類の性(SEXUALITY IN FISHES)

1.性が変わる
2.変わりやすいのか、変わりにくいのか(新しい時代)
3.婚姻システムと性転換(発展期)

   関連BBS:936,937,939,941,943,945

2.変わりやすいのか、変わりにくいのか
 ここでは、1970年代前半における研究の新しい波を追いながら
進めてみます。

1) ベラ類の体色・斑紋の2型と性の由来

 性転換に絞って先ず考えていきますが、ここでは最近、BBSで
盛んに出ているホンベラやカミナリベラのIPオスとTPオスにつ
いて整理しておきましょう。

 前節で照会したように、ベラ類には雌雄による2つの体色がある
ことは古くから分かっており、いわゆる赤ベラはメス、青ベラはオ
スというように区別されていました。Reinboth 博士の一連の研究
により、オスの中に生まれながらの一次オスと性転換による二次オ
スとがあるベラ類が知られ、問題が複雑になりました。一次オスは
小型の時はメスと同じいわゆる赤ベラなのですが、大きくなると二
次オスと同じ青ベラになるのです。
 したがって、赤ベラにはメスと一次オス、青ベラには一次オスと
二次オスとがいることになります。また、一次オスと二次オスとが
出現するのをdiandry 、二次オスだけで一次オスの出現しないのを
monandry と呼びます(Reinboth,1967)。

 こういったややこしい問題がわかり、赤ベラをInitial phase
(IP)、青ベラをterminal phase(TP)と呼ぶことになったわけです
IPオスは群れ産卵、TPオスはペア産卵というのが基本的ですが
これを水中で観察する時に困るのは、IPがメスなのか一次オスな
のかが、腹が膨らんでいないと見分けがつかないこと、TPは一次
オスか二次オスかはさっぱり分からないということです。

 さて、卒論が終わり、修士課程に進みました。この頃は、大学院
で魚の行動を調べるなどと言うのは、水産学科では異端であり、殆
どが水産有用種を対象にした年齢、成長、成熟、生活史といった資
源学的な研究や分類等が主流でした。まして、ベラ類などは雑魚で
した。入試の面接では、他の講座の教授から、そのような立場の意
地の悪い質問も受けました。幸い在籍していた講座の初代教授が博
物学的な視点をお持ちだったと言うこともあり、のんびりした雰囲
気があったので、あまり難しいことを言う諸先輩も身近には少なく
ベラ類を続けることにしました。

 僕は、カミナリベラ属全体を調べてみようと思いました。日本産
は5種居ると見られたので、まず、何処にどんなのが居るのかを知
りたいと思いました。ちょうど、1974年の秋、モイヤーさんが九
大を訪れました。中園さんとクマノミやレンテンヤッコの性転換を
調べる共同研究のスタートでした。また、モイヤーさんが運営して
いた三宅島の田中達男記念生物実験所(TMBS)でベラ類の分類
を整理していたジョン・シェパード君とニシキベラの産卵を調べて
いたキャシー・メイヤーさんが、クリスマス休暇に九大に遊びに来
ました。これで色んな情報を交換することが出来ました。シェパ−
ド君はスミツキカミナリベラの再検討をしていたのです。

 三宅島を含め、伊豆諸島の様子は彼らから情報を得ることが出来
たので僕は先ず、九州から沖縄にかけてカミナリベラ属魚類の分布
や生息密度を知りたいと思い、天草、口永良部島、トカラ諸島、八
重山群島の黒島などを調査の候補としました。文献調査から沖縄で
はカミナリベラは居なくてアカオビベラやハラスジベラが多いよう
です。また、オニベラはトカラ諸島や薩南諸島に、スミツキカミナ
リベラは伊豆諸島に多いような印象を受けていました。

2)一次オスの割合

 この当時は、ベラ類には一次オスの居る種と一次オスの居ない種
とがあることが知られていましたし、中園さんの調査では、ホンベ
ラやカミナリベラに比べ、ササノハベラ(今のホシササノハベラ)
では、一次オスが非常に少ないと見られていました。中園さんは、
この一次オスが出現する割合は生息密度とも関係するのではないか
と予測していたのです。

 そこで、僕は九州から沖縄へかけてカミナリベラ属魚類の分布が
入れ替わっていくことから、ある種はある場所では密度が高いけれ
ど、別の場所では低くなり、これらを比較することによって、各種
の一次オスの出現割合と生息密度の関係を調べようと思い立ったわ
けです。

 まあ、この頃は変なことも思い描いていました。キャシーさんの
話や、天草の観察でニシキベラはホンベラやカミナリベラと同じく
群れとペアの産卵をすること、カリブ海でペアと群の産卵をしてい
るのはブルーヘッド・ラス、また、一次オスが始めて明らかにされ
たのは地中海の Coris julisというベラ、これらは皆、体型がスマ
ートなベラ達なのです。一方、オハグロベラには一次オスが居ない
ようでした。ササノハベラはその中間的な体型である。流線型のベ
ラ類は一次オスと二次オスの居るdiandryで、平たい体型をしてい
るのは二次オスだけのmonandryではないか、さらに発展して、群
れるベラはdiandry、単独のベラはmonandry。これがまたまた増
長して、生息密度の高いベラはdiandry、単独のベラはmonandry
なのだと空想を膨らませていたのです。

 これに当てはまらないベラ、例えば、ホンソメワケベラは流線型
だが、どうなるのか?等と言うことは考えませんでした。まだ、婚
姻システム(mating system)と雌雄性に関係が深いという観点
は持っていなかったのです。ただし、生息密度の高いベラ類に一次
オスが現れると言うのを証明するのは、大変に難しいだろうとは予
測していましたので、同じ種で生息密度に地域差を見つけ、そして
一次オスの出現割合や産卵行動にも地域差があることをカミナリベ
ラ属全体で明らかにすれば、修士論文にはなるだろうと目論んでい
ました。

3)南の魚たち

 ともかく、南へ行こうと、75年の夏、口永良部島に行きました
この島のことは、「研究室の海から」やログ・ブック「薩南諸島」
に紹介していますので、お読み下さい。博多から夜行急行「かいも
ん」で鹿児島へ、朝9時のフェリーで屋久島の宮の浦港へ、宮の浦
からフェリー太陽丸で口永良部島の本村港へ。

 広島大学の研究所?である廃屋に寝泊まりし、広大の学生、院生
と一緒に共同で炊事しました。食料費は、面白いシステムでした。
メンバーが入れ替わるため一食幾らと言う計算は出来ません。コッ
ク長で、島に殆ど居着いている久保田君と言う人が、新たに加わっ
た僕に、「予定は2週間?2千円ほど入れておけ」と適当に伝えま
す。台所にぶら下がった大きな財布に2千円を入れます。毎日、食
事当番がこの財布を持って万屋で野菜、冷凍豚肉などを買ってきま
す。金が少なくなると、全員から数百円を徴収します。「原始共産
制やなあ」などと感心してました。

 当時の常連であった久保田君はブダイ、羽澄君はヤマブキベラを
対象に共に食性の研究をしていました。メインのフィールドは北側
の「西の湯」という大きな湾でした。その名の通り、海岸縁に温泉
があります。全員が素潜りで調査をしていました。峠を越えると
真っ青な海が拡がります。初めて潜ると、魚の多いことに先ず驚き
ました。津屋崎では、ホンベラ、キュウセン、オハグロベラ、ホシ
ササノハベラ、秋にカミナリベラやコブダイの幼魚が現れるだけ。
天草でも、上記6種の他、ニシキベラ、オトメベラ、イトヒキベラ
オトヒメベラ、ホンソメワケベラが加わる程度でした。それが、初
めて目にするベラがわんさか。ブダイ類に至っては、初めてみもの
ばかり。

  図7 峠を越えて(未だ若い後ろ姿です、なぬ、ベトコン?)

 当時の日本産魚類図鑑ではこうした南方種は殆ど掲載されていな
かったので、Schultz (1958) や Smith (1949) の原書が置いて
ありました。湿気でぶよぶよになっていました。でも、図合わせで
はなかなか名前が分からないものが多く、中でもブダイ類は特に難
しいと思いました。他の人も同じで「シロモハメ」、「ヒノマル」
「キイチ」等の愛称で呼んでいました。

 カミナリベラ属では、オニベラが圧倒的に多く、カミナリベラと
アカオビベラがちらほらという感じでした。この最初の調査で、不
明種を含めて30種のベラを確認し、内、13種を採集しました。
出かける前に、中園さんから、「君のテーマだけでは不安なので、
とにかく、標本は出来るだけ集めておきなさい」と申し渡されてい
ました。

 図8 フィールドノートのスケッチ

 上に示すのが当時のノートです。採集したベラは、写真を撮りま
すが、撮影用の良い設備がないので、スケッチをしておきます。ス
ケッチをすることで、特徴が良く頭に入ります。このベラも、当時
は名前が分からず、持ち帰って調べ、松原(1971)とKamohara
(1958) から、サザナミベラCoris variegata ではないかと見当を
付けましたが、これは誤り。後で、スジベラ C. dorsomaculata
と判明しました。

 ベラ以外で印象に残ったのがブダイ類やクロハギ類を主体とする
異種混群(以下、混群)でした。これは具島健二さんが研究してい
たテーマであり、お話は良く伺っていましたが、とても面白いと思
いました。異なる種が一緒になって群れ、餌を食っているのです。
ベラ類やヒメジ類も加わります。津屋崎や天草では見ることのない
ものでした。この混群は何故、作られるのでしょうか?異なる種が
群れるのですから、繁殖の意味はないですね。

 図9 アオブダイ類を主体とする混群

 
今日はここから(6/28)

4) A New Era

 さて、その後、この年は9月に天草、9ー10月に口永良部島、
10ー11月に八重山群島の黒島と鳩間島へ行きました。黒島では
海中公園センターの岡本一志・福田照雄両氏にお世話になり、鳩間
島では京大の学生だった水口博也さんと同じ民宿で仲良くなりまし
た。鯨類の写真家として有名な水口さんです。岡本・福田・水口・
僕の4人で麻雀をしようと言うことになりましたが、牌が無く、
マッチを15ダースも買い集め、それで牌を作ったなんて事もあり
ました。閑話休題。

 ベラ類の種を覚えるだけでなく、ブダイやスズメダイも覚えよう
としていたので、結構忙しく、しかし、楽しい毎日でした。75年
の秋、益田 一・荒賀忠一・吉野哲夫3氏による待望の「南日本の
沿岸魚」が出版されました。奇しくも僕の25歳の誕生日でした。
毎日、毎日、これはそうか、これは見たことがあるぞ等と、図鑑を
拡げ、書き込みをしていました。この図鑑については、「和名を考
える」で紹介していますので、お読み下さい。この図鑑によって、
フィールド研究が一気に盛んになったと言っても良いでしょう。

 75年当時、読んでいた論文で強く影響を受けたのは、Fishelson
(1970)のキンギョハナダイの性転換、Reinboth (1970)の魚類全
般の雌雄同体性の総説、Robertson (1972) のホンソメワケベラの
性転換、 Warner (1975) の性転換の進化理論、藤井(1974) のコ
チ科魚類の雌雄性の進化に関する論考、鈴木・坂本(1974)のサク
ラダイの生態、Moyer and Sawyers (1974) のクマノミのなわば
り行動、Moyer (1974) のニシキベラの産卵行動、Moyer (1975)
のナガサキスズメダイの産卵行動などの研究でした。
 Fishelson と Robertson の報告は、ともにメスからオスへの性
転換がオスの存在によってコントロールされているという衝撃的な
もので、米国の男性向け雑誌「プレイボーイ」に紹介されたという
逸話まであります。

 日本産魚類の雌雄性は60年代に岡田 要氏によって精力的に進
められましたが、多くは記載的な研究であり、雌雄性を系統や進化
と言う観点で捉えたのは日本では藤井氏が最初でしょう。また、サ
クラダイの研究は、これまで、採集標本に大きく依存していた資源
学的な研究から、フィールド観察へ大きく一歩、踏み出した研究で
もあったと思います。モイヤーさんの3報は、本格的な潜水観察に
よる日本産魚類の生態研究として注目されました。

 こう振り返ると、当時は、日本でも魚類研究に新しい分野が生ま
れた時代だったのかなあと思います。奥野良之助氏は早くから魚の
あるがままの生活を見つめる重要性を強調していましたが(奥野、
1971)、日本ではまだまだマイナーな研究テーマでした。また、
Warner (1975) の性転換の進化理論は世界的にも大きな影響を与
えた業績で、この論文によって魚類の性転換の適応的意義を解こう
とする研究は、野外における婚姻システム研究との関連で捉える方
向に一気に走り出しました。

 婚姻システムの研究は、動物行動学の個体識別法による野外研究
が、魚類研究者の中にも浸透することによって大きく飛躍しました
すでに野外研究で実践している方はおられましたが(桑村、1981)
その成果が論文になるのは少し後のことになります。日本産の魚類
については、モイヤーさんと中園さんのレンテンヤッコの研究
(Moyer and Nakazono, 1978)が最初だろうと思います。

 一方、陸上動物では、故今西錦司氏が終戦後に都井岬においてウ
マを個体識別したのが始まりでしょう。なんでも、今西氏はモンゴ
ルの遊牧民が何千頭も標識無しで識別していることにヒントを得た
そうです。日本は「サル学」を発展させたことで有名ですが、餌付
けされていない屋久島のヤクザル(ニホンザルの亜種)で個体識別
による研究が本格的に始まったのが1973年(立花、1991)。ここ
でも新しい時代が始まったのですね。

 個体識別というと、なにやら難しいことのように感じる向きが
あるかも知れません。でも、これは我々が日常的にやっていること
なのです。顔や体格、声、姿勢、動き、そんなものを無意識に誰か
の属性として僕らは認知し、他の人と区別しています。雑踏の中で
恋人を待つ、あるいは古ぼけた集合写真の中から知人を見つける、
沢山の寄せ書きの中から家族の筆跡を辿る、そんな作業をしている
でしょう。海の中で、自分が好きな魚や貝など無名の生き物に自分
だけの名前を与える。それは、単に命名の遊びではありません。次
に出会った時に大きな喜びを感じるはずです。

 御蔵島のバンドウイルカはウォッチャー達が体の傷から個体を識
別し、それを記録して、誰にでも見ることが出来る共有ファイルに
しています。傷は快復しますし、また新たな傷も生じるので、常に
更新を続けており、NPOのアイサーチ・ジャパンが管理していま
す。このような体制づくりは、イルカのように長命で、御蔵島周辺
におけるように定住性の強い個体群にとっては大変に有意義です。
研究者だけでなく、訪れる多くの一般の人々も喜びを共有できます
(Moyer, 2000)。
 魚などではどうでしょうか?下に示すハリセンボンのように共通
のニックネームがついたものもあるでしょう。


図10 ブラックジャックというハリセンボン
チービシの神山島南(ポイント名:ラビリンス) 水深7m
粟野靖子さん撮影(5/13/2002)
 

 また、山崎さんから送られてきた小笠原のキイロハギも紹介し
ましょう。


図11 色彩異常のキイロハギ
小笠原父島、長崎で山崎寿夫さん撮影(6/12/2002)

 でも、そうしたものではなく、自分のポイントで人に知られずに
自分だけのニックネームを持った生物を見つけるのも良いことでは
ないでしょうか?僕はお勧めしますよ。これだけはやってみないと
分からないでしょうね。

 さて、色んな海へ出かけ、様々な魚と出会い、友達が一挙に増え
たのは良かったのですが、修士論文の焦点はぼやけ始めました。カ
ミナリベラ属からベラ類全体に、そして、ブダイ類やハナダイ類へ
も関心が拡がっていきました。

 カミナリベラでは、産卵期以降に性転換したニジベラが増えてい
ました。季節やメスとしての繁殖経験後に性を変えるのだ、つまり
性転換は生活史の中で規則的に起こることなのだと思っていた僕は
ホンソメワケベラやキンギョハナダイの論文に大きなショックを受
けました。標本を集めて、生殖腺を調べるだけでは駄目だ。その社
会を良く知らないとならないと考え始めました。そのチャンスは、
1977年に三宅島に初めて行った時にやってきました。

 次節では、70年代後半から80年代前半にかけての「発展期」の
研究史を追いながら、婚姻システムと性転換の関係を紹介してみま
しょう。

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