LET'S WATCHING
2−チョウチョウウオ的生活


 このセミナーは、海洋生物について、
研究者達の経験談などから話題を提供し、観察や記録の参考
になる手がかりを提供するものです。

チョウチョウウオ的生活 藪田慎司

1)ミスジチョウチョウウオの学名変更と生物学的種概念
2)
フウライチョウチョウウオの産卵観察に挫折する
3)
あっけなくも、ミスジチョウチョウウオの産卵を見る! 12/02/2003
4)
ミスジの研究をスタートさせる 01/17/2004
5)
ミスジの産卵生態ー1 03/26/04
6)
ミスジの産卵生態ー2 日中のなわばり場所と産卵場所 07/22/04

2.チョウチョウウオ的生活 藪田慎司

1)ミスジチョウチョウウオの学名変更と生物学的種概念

 チョウチョウウオ属は、全世界でだいたい90種いると言われている。正確に何種と言い難いのは、分類というものが、結構変わりやすいからである。最近もそれでちょっと困惑させられた。

 私が一番熱心に観察してきたのは沖縄のミスジチョウチョウウオなのだが、彼等の学名が最近変わったらしいのである。

 たぶん、皆さんのお手元にある図鑑では、たいていの本でミスジチョウチョウウオの学名はChaetodon trifasciatusになっていると思う。ところが、Kuiterという人が、最近、太平洋のミスジチョウチョウウオの学名を Chaetodon lunulatus に変えてしまったのである。

 私はそれを論文の査読者からのコメントで知った。少し説明が必要かもしれない。研究者は、自分の研究を論文にして学術雑誌に投稿するのだが、すぐに掲載されるわけではない。編集者はそれを専門分野の近い2、3人の研究者に送り掲載に値するかどうか意見を求めるのが普通である。これを査読といい、それを行う匿名の研究者が査読者である。

 さて、私の投稿原稿に対して査読者から学名が変更になっているとのコメントがついた。おどろいてその論文をとりよせようとしたが、これを購読している研究機関や大学が日本では見つからないのである。ということはまあ、かなりマイナーな雑誌である。まったく、そんなマイナーなところで学名変更なんかやりやがって、と思う。何人かの分類を専門にする知人に聞いてみるとそれほどめずらしいことではないらしい。彼等は、付け加えて、別に論文が出たからといってそれに従わなくてはならないということではないのだよ、と言った。そのような学名の変更に賛成するなら従えばいいし、賛成できなければこれまでの学名に従えばいいだけのことらしい。

 とはいえ、そのコメントには、著明な魚類分類学者も学名変更に同意している旨が書かれていたし、なによりも、賛成するにせよ反対するにせよ、学名変更の根拠は論文をとりよせないことにはわからない。

 日本では手に入らなかったので、図書館を通じてBritish Libraryからとりよせることにした。ここに頼めば手に入らないペーパーはないというくらいのところで、英国というところの凄さを思い知らされるのはこういうときである。

 さて届いてみると、それはわずか2ページの短い論文であった。その論文が主張していたのは次のようなことだった。「インド洋のミスジチョウチョウウオと太平洋のミスジチョウチョウウオはこれまで同種とされてきたが別種である。従って、太平洋のミスジチョウチョウウオに対しては、過去に一度用いられた Chaetodon lunulatusを再び有効とする。」

 確かにインド洋のミスジチョウチョウウオと太平洋のミスジとでは、体色が違う。ただし、形態は大変よく似ている。だからこそこれまでは同種にされてきたのである。なぜ、彼は再び別種扱いにしようとするのか? その根拠は如何?


図1 太平洋のミスジ Chaetodon lunulatus
(藪田さん撮影:八重山群島黒島)


図2 インド洋のミスジ Chaetodon trifasciatus
(Field Guide to Coastal Fishes of Mauritiusより引用)

尾鰭の付け根〔尾柄部)の色彩に注目!

 興味を持って読み進めてみた。その根拠とは「インド洋のミスジと太平洋のミスジは、バリ島で同所的に生活している。しかし、彼等は常に同じタイプとだけペアを組み、異なるタイプとペアを組むことはほとんどない。」

 これだけ? これだけである。しかもいくつのペアを観察したのか数値も書いていない。拍子抜けした。

 再び、分類学を専門にしている友人に聞くと、「繁殖はペアですることは確かなのか?」と聞く。確かに、少なくとも沖縄のミスジ(従って太平洋タイプ)の産卵はペアに限られている。それは私自身が確認している。ならば、と友人。同所的に暮らしていながら繁殖をほとんどしていないことになる。これは二つのタイプの遺伝的交流がほとんどないことを意味するから、別種であるいう判断は、厳密ではないが、まあ妥当であろう。

 ふむ、そういわれればそうか。データらしいデータもない論文だが、これでいいのか。実際2000年にオーストラリアで出版された Angefishes & Butterfly-fishes (by Allen, G.R. et al.)でもすでに太平洋のミスジはC. lunulatusとして扱われている。そんなわけで、皆さん、インド洋のミスジチョウチョウウオはこれまで通り、C. trifasciatusですが、太平洋のミスジは C. lunulatusというのが大勢のようですよ。

 ところで、この結論を記憶しておくだけならそれは単なる豆知識に過ぎない。皆さんには、その生物学的な根拠にもっと注目しておいていただきたいと思う。それはいかに似ていようとも、互いに交配しない2つの集団は別種であるということだ。これを生物学的な種概念と呼ぶ。

 この広く受け入れられた概念に依れば、種は外見の類似で定義されるのではないのである。たまたま今回の2種は外見が少しは違うのだが、仮に外見上まったく区別できない2つのグループであっても、それらが同じ地域に住みながら交配してなければ、それらは別種なのである。つまり、まったく同じ外見をした別種というのがいてもいいのである。ちょっと妙な気がしませんか?

 ただし、交配していなければ遺伝子の混ざり合いがないので、十分に時間が立てば外見にも異なったところがでてくるはずである。だから、実際上は、別種には外見上なんらかの違いが出るのが普通である。しかし、繰り返すが、生物Aと生物Bが別種なのは、それらに違いがあるからではない。逆なのである。彼等が違うのは、彼等が別種であることの結果なのである。

 さて、賢明な読者はすでにお分かりと思うが、理論的には外見上区別できない別種が存在するのと同様に、外見上似ても似つかないのに同種ということもありえるわけだ。後者の例の方はお馴染みだろう。同種に色彩の違う個体が含まれている例はいくつも思い付かれることと思う。例えば、人類がそうである。



 次節ではチョウチョウウオへの取り組みに、もがき、苦しみ、悩んだ藪田さんの青春記を紹介しましょう。
 参考文献はセミナーの最後に一括して紹介します。

 これを掲載しながら、僕はキンギョハナダイのことを思い出していました。’80年代半ばのことです。その頃、紅海やインド洋のタイプは胸鰭の下側に赤紫の斑紋を持ち、日本沿岸を含め、太平洋のタイプとは異なることが知られていました。この魚は、Shapiro博士という方が紅海で精力的な研究をしており、論文を書くには、どうしても比較が必要でした。生態の比較をする場合、場所、季節、個体数の密度なども考慮しないとなりませんが、まず、同種かどうかというのも問題です。それで困りました。日本産のものはかってFranzia という属にされていたこともあります。背鰭の付け根に小さな鱗があるかどうかという点が、Anthias とは別になるのかどうかが難しいのだそうです。
 それで、分類の大家、Randall博士に尋ねました。彼はすぐに返事をくれる人ですが、「微妙な問題だと思う。しかし、あなたは三宅島の個体群を見ており、見ている対象ははっきりしているのだから、あまり、悩む必要はないと考える。現在の分類に従っておきなさい。」というものでした。
 そういわれればそうだなと思いました。実体を見ているわけですから、後で名前が変わっても実体が変わるわけではないですものね。

2)フウライチョウチョウウオの産卵観察に挫折する

私が本格的な観察を始めたのは、大学4回(年)生の時で、相手はフウライチョウチョウウオだった。目的は、彼等の社会構造と繁殖システムを明らかにすることである。体側の模様で個体識別を行い、各ペアのなわばり範囲を確定し、社会交渉のやりかたを記載した。これだけでも、まあ論文にならないことはない。しかし、私はどうしても産卵を見たかった。

フィールドワーカーに憧れていた私は、野外で産卵を観察できるかどうかを、試金石であると考えていた。私にとってフィールドワーカーとは、ある野生動物について誰も見たことのない行動を始めて見ることのできる人であったからだ。フウライチョウチョウウオについては、社会構造も産卵生態もまったくわかっていなかった。3年間観察した。社会構造について少しはわかってきた。しかし、あいかわらず産卵を見ることはできなかった。

観察2年目に卵で腹の膨れたらしいメスがいることに気がついた。私はそれらにはりついた。彼等は、そのまま寝てしまうことも多かったが、観察を2日、3日と続けると、夕方ペアで自分達のなわばりを出て行く日のあることがわかった。さらに、次の日には必ずメスの腹がしぼんでいることもわかった。これは産卵に行っているに違いない。


図3 礁原で摂餌するフウライのペア

私は、夕方でかけるペアを追い掛けることにした。大潮の夕方、十分に満ちた潮に乗って彼等はリーフを超えて外へ出ていった。そうか!彼等はリーフの外で産卵するのか。これは発見である。喜びが湧いてくる。しかし、である。やっぱりそう簡単にはいかないのである。

外海に出たペアは、リーフの斜面を下ってゆっくりと深みへ降りていく。シュノーケリングで追い掛けている私の下の方で、水底とペアの姿がしだいに薄れていく。なにせ、夕方である。どんどん暗くなる外海で、どんどん岸と底が遠くなっていく。この不安、おわかりいただけると思う。そんな中で、無防備に水面に浮かんでいなくてはならないのである。30分も時間が過ぎ、もうほとんどペアや底は見えなくなる。どうやら深みへの移動はやめて、そこにいるようだ。しかし、その姿を確かめるには素潜りしなくてはならないほどにあたりが暗い。外海のうねりに身をまかしながら、恐怖が広がってくる。暗い水の向こうに鮫の影が横切ったような気がする。もうたえられない。笑ってもらって結構だ、私は逃げ帰った。

シュノーケルで水面に浮かんでいるのは無防備すぎる。今度はスキューバとライトの用意をして、ペアが出かけるのを待った。そのチャンスがやってきた。ところが、スキューバを背負って彼等についていくのは、大変であることがすぐにわかった。彼等、泳ぐのが速い。なんとかリーフの中ではついていけた。しかし、浅いリーフの上にさしかかるともうだめである。背中のボンベが、もろに波を受ける。ぐっとスピードが落ちる。あっというまにペアの姿は、波がくだける白い泡の向こうに消えてしまった。

図4 黒島仲本海岸の地図と移動ルート例。フウライチョウチョウウオはリーフの内側(礁池)にたくさん住んでいる。時々、夕方になるとリ−フ(礁縁)を越えて外へ出て行く。産卵のためと思われる。

どうすればいいのだろう。何度かチャレンジした。しかし、結果は同じだった。シュノーケルでは恐怖に負け、スキューバでは波に負けた。やっぱり、自分はフィールドワーカーには向いていなかったんだ。もうやめよう。暗くなった浜辺に戻り、波打ち際でアザラシのように寝転がってそう思った。

次の朝、目がさめて少し元気が戻ると、諦める前にもう一度だけという気持ちが生まれていた。しかし、フウライチョウチョウウオでは、どうせまただめだろう。そこで、思いきって対象種を変えることにした。ミスジチョウチョウウオを追い掛けてみよう。彼等も体側の模様で個体識別できることはすでに確認できていた。

事務局より
 藪田さんの恐怖、よく分かります。タンクを背負って、リーフを越える辛さ、体感しました。ウミガメ協議会の亀崎さんと同じ仲本海岸で、へとへとになったことがあります。後から「アホやなあー」と二人で大笑いしました。
 今、藪田さんは新しい職場、山梨県の帝京科学大で、ものすごく
お忙しい毎日ですが、快く、原稿を届けてくれます。彼は、また、
動物の生態の動画をデータベース化する活動も積極的に進めています。僕も委員会に入りましたが、会員の方々の動画データも対象になります。詳しく話が決まれば、また、紹介しますね。


3)あっけなくも、ミスジチョウチョウウオの産卵を見る! 12/02/2003

二シーズンに渡って懸命に挑戦したにもかかわらず、フウライチョウチョウウオの産卵を見ることはできなかった。もう調査をやめよう、自分にはフィールドワークは向いてない、そう思った。それでも翌日になると(注1)、少しだけ元気が出た。それで、最後にミスジチョウチョウウオを追いかけてみようと思った。これでだめなら、もう本気でやめるつもりだった。あんまり気合いもなく海に入った。ところが、なんということだろう。その日に、いきなり産卵を見てしまったのである。あっけなかった。

午後4時に海に入り、以前、個体識別したことのあったペアを見つけて、はりついた。うまいことメスの腹はパンパンに膨れていた。追い掛けはじめて1時間程たった5時過ぎに、彼等がなわばりを出た。メスが先に立ち、オスがそれに続く。彼等は時折先頭を交代しながらまっすぐに泳ぐ。大きな珊瑚のような目印になりそうな場所で方向を変えながら、ほぼリーフの内側沿いに北西に進む。私はいつ彼等がフウライのようにリーフを越えにかかるかと気が気ではない。リーフの外に出られては同じことになってしまう。

彼等はなかなかリーフの外には出ようとしない。そのままそのまま、と心の中で思う。リーフ内側の複雑な地形に沿って、何度か大きく方向を転換し、300mほど進んで彼等は孤立した岩塊に到着した。水深は2m。その岩塊の裂け目を中心に2匹は落ち着いた様子で泳ぎ回っている。時折、他のペアとのあいだにいさかいが起こる。その合間に、オスはしばしばメスの生殖孔の周辺に鼻先をつける。いいぞ、と思う。産卵しそうだ。6時半を少し回ったころ、メスがゆっくりと岩塊を離れて泳ぎはじめる。その生殖孔の周辺に鼻先をつけたままオスが続く。2匹はゆっくりと泳ぎながら、しだいに上昇していく。行け行け、と心の中で声を出す。2匹が水面ぎりぎりにまで上昇した時、メスが背びれの棘を立てて身体に力を込めた。卵が放出され煙りのように広がる。すぐにオスが精子を放ち、それが白い筋となって螺旋を描く。2匹は身体を翻し、まっすぐに底へ向かう。

やった。水中で小さくガッツポーズをとる。これで、フィールドワークを続けられると思った。それにしても、フウライではあんなに苦労しても見えなかった産卵が、ミスジチョウチョウウオでは初日で観察できてしまうとは。案外こんなものかもしれない。このペアがなわばりに帰らずに、そのままそこで眠りについたことを確かめて海からあがる。浜辺に座り込んですっかり暗くなった海を見ながら満足感にひたった。自分にもできたという喜びがあった。

その後、ミスジチョウチョウウオの産卵行動をビデオにおさめることもできた。そのビデオ映像は現在「動物行動映像データベース(http://www.momo-p.com)」注2に登録してある。ぜひご覧下さい。直接のURLはhttp://www.momo-p.com/showdetail-e.php?movieid=momo010316cl01a
スペクタルではないが、貴重な映像であることは間違いない。よろしければ、これを撮影するまでの私のささやかな苦労にも思いをはせながら、しみじみと御覧いただければありがたい。

図5 ミスジチョウチョウウオの産卵の様子。ビデオ映像から見やすいように画像処理したもの。左)先行するメスの生殖孔にオスが鼻先をつけ、2匹が連なっ て上昇して行く。右)先行するメスが卵(矢印)を放出する。

注1 今回の出来事は前回(第2回)の出来事から24時間しかたっていないの。でも掲載期日で見ると1年半も過ぎてしまっている。この1年はまったくあっという間でした・・・・すみません。

注2 「動物行動の映像データベース」は日本動物行動学会の支援のもと、学会員有志で組織する「MOMOプロジェクト」が運営しています。MOMOプロジェクトでは、今、魅力的な映像を表彰するコンテストを開催中です。テーマは「求愛」または「擬態」。応募期間は来年1月31日までです。皆さんもふるってご応募下さい。詳しくは「2004動物行動のデジタル映像コンテスト」
http://www.momo-p.com/contest2004/ をご覧下さい。



4)ミスジの研究をスタートさせる 01/17/2004

運良く観察を始めた初日に産卵を目撃できた私は、なんとかフィールドワークを続けていく自信をつなぎ止めた。しかも、産卵のために日中のなわばりから外へ出て行くという行動(産卵移動)は、チョウチョウウオ類ではこれまで知られていなかった行動である。これは面白くなるかもしれない。

図6 ミスジチョウチョウウオの産卵移動。最初に観察した産卵移動の経路。
コンとチキのペアの移動経路である。

フウライと違い、ミスジ達のなわばり地図(どこにどんな個体がなわばりを構えているかを示した地図)はまだ描けていなかった。この地図は、調査の基礎になるものであるからなるべく早く完成させなくてはならない。しかし、すでに彼等は産卵のシーズンに入っているわけだから、夕方からは産卵行動の観察をしなくてはならない。忙しくなりそうだった。

基本になる地形図はフウライの調査のために作ったものがそのまま使えた。昼間は、その地域の個体を識別して個体識別帳を充実させていくとともに、それぞれのペアが泳いだルートを地形図に描き込んでいった。こうすることで、やがて彼等の行動圏が浮かび上がって来る。さらに、その行動圏への侵入者や近隣のペアとの攻撃的な交渉が起こった場所を記録し、行動圏がなわばりとして防衛されていることを確かめた。

これらの観察をしながら、腹が膨れているメスがいないかを探した。夕方になると、そのメスのペアに注目して産卵を見ようと思ったのである。つまり、観察したい行動(ここでは産卵行動)を決め、個体にこだわらず、その行動が起こったら(あるいは起こりそうなら)そこに注目するというやり方である。この方法の利点は、目指す行動を効率良く観察できるということである。しかし、この方法では多くの重要な情報が得られないという欠点がある。例えば、一つのペアが何日おきに産卵するのか、あるいは、産卵場所がいつも同じなのかどうか、などがわからない。こういったことを知るためには、特定のペアに注目し、産卵が起ころうが起こるまいが毎日観察しなくてはならない。

注目するペア(フォーカルペア)には、最初に産卵を観察できたペアをあてることに決めた。最初、彼等のことはペアAと呼んでいた。忙しかったので名前を決める気持ちの余裕がなかったのである。だけど、ペアAではあじけない。そのうち、私は彼等をコンとチキと呼びはじめた。ちょうど彼等らのなわばりの場所になわばりを構えていたフウライのペアの名前がコンとチキだったので。

気が付いた方もいらっしゃるだろうが、このコンとチキという名前は、祇園祭のお囃子からとったものである。京都では梅雨になると、街では「コンチキチン」というお囃子が聞こえはじめ、ついでに、ハモがおいしくなってくる。ハモ落とし最高。蒸し暑い京都の梅雨をのりきるための楽しみの一つである。そんなわけで、京都の町に「コンチキチン」のお囃子が流れはじめようとする頃、私は八重山の海でコンとチキの観察を中心に忙しい夏を迎えようとしていた、とまあ、わざとらしいが、今回はそう締めくくっておこう。



5)ミスジの産卵生態ー1 03/26/04

はじめてミスジの産卵(コンとチキの)を確認したのは、91年の5月21日。満月の2日前であった。そして本腰を入れて調査を開始したわけだが、すぐにいろいろなことがわかってきた。

これからの説明が分かりやすくなるよう、調査地域の2つのエリアに名前を付けておこう。一つは、コンとチキが普段住んでいる区域で、これをarea Xとしよう。彼等はここから出発して産卵場所に移動したわけだが、その産卵が行われた場所をarea Yとしよう。

さて、本腰を入れて調査を開始した翌日の5月21日にarea Yで別ペアの産卵を目撃した。そして、続いて22日と23日にも別ペアの産卵が観察された。それまで3年間このリーフの中で観察を続けてきたが、一度もチョウチョウウオ類の産卵を見たことがなかった。なのに、この場所ではいきなり4日連続である。どうやらミスジ達は特定の場所に集まって産卵するらしい。


図7 縄張りの位置と産卵場所

一方、この3日間、コンとチキは移動をせず、いつものテリトリー(area Xにある)にいた。腹も膨れていなかった。しかし、5日目には、またお腹が大きくなっていて、夕方になると、またしても移動を開始した。そして、先々日とまったく同じ場所に移動し、産卵した。コンとチキは、この場所を産卵サイトとして使用しているらしい。さらに、7、9、12目にも、コンとチキはarea Yにある同じ場所に移動した。潮は中潮である。しかし、今度は産卵が見られなかった。お腹が大きくなっていたにもかかわらず、である。これはどういうことだろう。

それからしばらくの間、静かな状況が続いた。この間に、少し状況を整理してみた。これからの観察の目的をはっきりさせるためである。ちょっと落ち着かなくてはならない。

判ったことの第一は、ミスジは産卵のために移動する、ということである。いや、待てよ? まだ産卵のための移動を確認したのはコンとチキだけである。産卵移動がどれくらい一般的な現象なのか確認する必要がある。二番目に判ったことは、ミスジの産卵が集中する場所があるらしい、ということである。なぜ集中するのだろう。おそらく、何か産卵に好適な条件があるに違いない。ならば、それは何だろう。それから、そのような産卵に好適な場所は他にはないのだろうか? 三番目に、産卵移動しても産卵するとは限らないらしいということが示唆された。これも確認してみなくはならないだろう。

こうして、現時点での疑問を整理した。そして、それに基づいて観察の焦点を定めて行った。

まず、コンとチキ以外のペアも産卵移動するのかどうか確認しなくてはいけない。では、どんなペアを狙うべきだろうか。ミスジチョウチョウウオの社会構造のことも考えに入れれば、次のような疑問が湧く。第一に、area Xにあるコンチキのテリトリーに隣接するテリトリーを持つペア、つまり「お隣さん」はどうしているのか、ということである。移動しているのだろうか、移動しているとすれば、コンチキと同じ場所へ移動するのだろうか。第二に、コンチキの産卵場所であるarea Yでは、既に3ペアの産卵を確認しているが、彼等はどこにすんでいるのだろうか。area Yの中だろうか。それとも、どこか他のところから移動してきているのだろうか。第三に、もちろんコンチキのことは継続して観察したい。産卵というイベントを理解するためには、ある特定の個体から見た視点がぜひとも必要である。

というわけで、どんなペアを狙うかが決まった。area Xに住むペアとarea Yで産卵するペア、それからコンチキである。



「チョウチョウウオ的生活6」:日中のなわばり場所と産卵場所は無関係

まず、area Xの他のペアを追いかけた。コンとチキの隣になわばりを持っているペアの移動を観察できた。これで少なくとも移動するのはコン・チキに限らないことがわかった。面白いのは、彼らがコンとチキとは別のところへ移動していったことであった。彼かの移動ルートはコン・チキの産卵場所を通っていたにもかかわらず、彼らはそこには目もくれず、まっすぐと泳ぎ過ぎ、より遠くへ移動していった。


図8 area Xに隣接するなわばりを持つ2ペアの産卵移動(1ペアはコン・チキ)。互いに別のところへ移動している。

どうやら、お隣さんだからといって、夕方の産卵もお隣さんというわけではないようだ。ということは、逆に考えれば、area Yにはいろんなところのペアが産卵のために集まってきているはずである。area Yに日の出前から張り込んで、昨夕に産卵したペアが起きだしてくるのを待ち受けて追いかけた。2ペアほど追いかけることができたのだが、彼らは、確かに別々の場所に帰っていった。やはり、日中のなわばりと産卵場所の間に関係はなさそうである。


図9 area Yに産卵移動してきた3ペアの日中なわばりの位置(1ペアはコン・チキ)。それぞれ別々のところから移動してきている。

というわけで、コン・チキ以外に3ペアの産卵移動を確認することができた。この他にも、area Yで産卵することを確認しているが、日中にarea Y付近で観察できなかったペアが2ペアいた。彼らも産卵移動していることは間違いないだろう。産卵移動は、この仲本礁池のミスジチョウチョウウオ達には普通のことだと言ってもよさそうだ。

ところで、area Yへ産卵に来ていることが明らかになった1ペアは、コン・チキと同じ場所を産卵場所に使用していた。これは、ちょっとおもしろいことである。というのは、コン・チキもこのペアも産卵場所を小さな一時的なわばりとして防衛していたからである。産卵場所近くの岩を防衛し、近づいてくる他のミスジチョウチョウウオを追い払っていたのである。ならば、同じ産卵場所をめぐるこの2ペアの関係はどうなっているのだろうか。せっかく遠い距離を移動してきたのに先に他のペアが到着していて、しかたなく激しく争うなんでことがあるのだろうか。そして、一方が追い払われてしまって、トボトボと今来た道を帰る、なんてことがおこるのだろうか。少なくとも、コン・チキを追いかけているときには、それらしい行動は観察できなかった。だとすると、かち合わないように何らかの方法で調整しているのだろうか。残念ながら、この問題を調べることはできなかった。今もよくわからない。

Q&A

戻る