DIVING LOG - BOOK No.004

ログブックー4 「筑前沖の島」
 余吾 豊 03/30/04 開始

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 2002年7月31日(日)九州大学の調査艇「わかすぎ」に乗船して津屋崎港を出港。
協会評議員である中園明信教授をリーダーに、総勢10名。講師の小北さん、会員の岡本さんも入っている。天気は最高で、海上は穏やか。

 沖の島には宗像大社の「沖津の宮」が祀られ、調査は大社の許可を得て行っている。古建築が専門の河津会員(ミニ集会に来た人)も「沖津の宮学術調査」で以前に訪れている。島の原生林は天然記念物に指定されており、オオミズナギドリの繁殖場となっている。

 1980年代に行った初期の調査では、64科168種の生息を確認したが、その後、調査は中断。久しぶりの訪問で、心が躍る。

島はもやに覆われていることが多く、近づくと、舳先にぬっと島影が現れる。

中園教授が、港内に水温ロガーを取り付け、その後、潜水開始。



少し、辿ってみよう。


1982年 岩礁にはびっしりとカジメが茂る。

カジメは壱岐、長崎県以南には普通なのですが、筑前海沿岸では生育しておらず、そのかわりに、クロメやツルアラメが分布しています。しかし、沖の島では、この2種は全く生育してなく、コンブ科ではカジメが優占していました。生物相は壱岐と良く似ていました。

ところが、1962、63年に行われた調査では、コンブ科はアラメ、クロメ、ワカメの3種しか
報告されていない。1980年代に行った我々の調査には、海藻の研究者だった故大貝政一博士も一度、同行され、カジメを確認されている。これは、60年代から80年代までに、クロメ場からカジメ場へ変化したと言うことなのか?

1962〜2002の40年間に、クロメ場からカジメ場、カジメ場から小型紅藻類の植生に大きく変わったと言えるのだろうか?山本正之さん、どう思います?
そう、言い切って良いのでしょうか?


1982年。マツバスズメダイ。ウミウチワ、カジメ、トゲトサカなどに産卵していた。
今はトサカ類以外では、どこに産んでいるのだろう?

深場の砂礫底には、エンドウモク、ノコギリモクなどが繁茂していた。筑前海沿岸に比べると、南方性の魚類が多かったが、キンギョハナダイは一カ所で数尾見られる程度だった。


2002年。

 ここは奄美か!と思うほどの変わり様で、キンギョハナダイは何万匹も居たろう。福岡市のわずか 60km 北ですよ。信じられない。カジメやホンダワラ類は殆ど見ることが出来ない。ソフトコーラルが増え、イイジマフクロウニがあちこちに。被覆性のイシサンゴ類まで出現。驚く。若魚しか見られなかったアカハタは30cm級がうじゃうじゃ。伊豆諸島のアカハタに比べ、シロっぽいアカハタです。スジアラも居ました。1980年代には1尾も居なかったコガネスズメダイが産卵していた。岩棚には、ムスメウシノシタのペア。この20年に一体、何が起こったのだろうか?



2003年夏、再び、沖の島へ。会員の西田さんも一緒。


2003年。沖の島の海岸(避難港の少し東)。

北九州では滅多に見ることの出来ないタカベやタカサゴが群泳していた。驚くというより、なにか、とても寂しくなった。さらに、ニコノスの巻き上げピンが折れるという、ダブルショック。
2本目はもう潜る気がしなくなった。僕が潜らないと言うと、中園さんは変な顔をしていた。そんな柔なことでどうするのじゃ。マツバスズメダイの産卵基質を調べなさい。今年は必ず。


九州では、北の方でサクラが咲き、鹿児島や宮崎では開花宣言が出来ないと言う異変が起きています。宗像でも、街路のサクラはもう一歩ですが、丘の上のサクラは既に咲いています。

昨年の秋は紅葉が冴えず、この冬には、家のシダやアロエが枯れるという、今までの経験しなかったことも起こりました。アジサイの花は枯れたまま、落ちずに冬を越しました。

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