DIVING LOG-BOOK No.001

平井 衆さんから年末のパラオでのダイヴィング報告が届きました。文章に添えて、「PALAU DIVE LOCATION MAP」をお土産にいただきました。早速、パネルにして事務局に貼っています。文中の番号はこの地図の中の番号です。この地図、すっきりしていてとても綺麗なものなので、パラオに行かれる方はダイヴィング・ショップで求められたらいかがでしょう。情報も盛り沢山でインテリアとしても楽しめます。

その地図の制作者である、D. E. Bailey 氏と連絡をとったところ、掲載の許可をいただきましたが、他の地図や参考になる文献まで教えていただいたので、次の機会にまとめて紹介したいと思います。
(事務局/余吾 豊)

パラオ」

文・写真  平井 衆

『初日にスノーケリングに行った時、昼食を取るために立ち寄った「ロング ビーチ」と呼ばれる島。地図上の「 Yoo Passage」辺りだと思う。島に着いたら「ロング・ビーチ」の名のようなビーチは見当たらず、小さな砂浜が島にへばりついているだけ。ここが?とガイドの”ケンジ”君(彼は現地の人で日本語は話さないが、多分おじいさんか何かが日本人なのだろう。日本人の顔をした若者、日本の名を持った若者も結構いるようだ)に聞くと、写 真では写っていないが、午後4時頃、引き潮になると幅数メートルの通路のような島が海の中に浮き上 がるんだ、と説明してくれた。♪海が割れるのよ〜♪というわけだ。天候がもう一つだった。この後、大シャワー。』

『英国人で9年間日本に住んで英語教師をしているヒラリー。彼女とは2日間一緒に潜った。彼女と僕はどうでもいいんだが、僕の着ているT-シャツに注意!特に胸のロゴに!上陸後、ダイヴショップFishn'Finsのカフェにて撮影。
 日本式の組織だったダイヴツアーと違って、実にのんびりしている。朝も、車で迎えに来てくれてから到着後、のんびりと話をしながら朝食をとっているグループあり。我々は朝食をすませてきていたので、のんびりとコーヒーなぞを。終わってからも、「は〜い、じゃ〜バスに乗ってくださ〜い」ってせかされることもなく、こうしてゆっくりお茶を飲んで、だべって、ヒラリーなんかコーヒーを飲みながら雑誌を眺めておった。帰る方向が同じだったので、彼女と、そろそろ、と立ち上がったら、レニ−がそれを察して、「それじゃ〜、そろそろ送りましょう」といってホテルまで。こういう気の使い方って、悪くない。』

(事務局より:試作品のTシャツです。会員の方には出来上がり次第お送りします。)

 行程は12月28日夕刻に出発、1月2日の朝帰国。出発時に「パラオに積乱雲が停滞し、着陸できない恐れがあります。その場合はグアムに着陸するか、引き返すこともありますので、ご了承下さい」ということだった。JALの機長をやっている友人から「パラオの飛行場は恐い。着陸が難しい」と聞いていたので、ちょっと心配だったが、なんとか無事到着した。まったく、最初から!という感じだ。
 旅行ガイドブックによると、12月、1月は最も天候が安定している時期、というから安心していたが、これも地球温暖化の影響だろうか?残念ながら全体的に天候はもう一つだった。

(事務局より:この時、フィリピンに時季外れの低気圧があり、ついていませんでしたね)

 着いたのは、29日夜中の1時か2時頃。ホテルまで車で20分くらい。荷物だけ整理してすぐに寝て、翌朝起きたのは9時頃だったか?それから町を散策したが、大したものは何も無し。結局ここは海しかない。
 さっそく ダイヴィング・ショップに予約を入れようと電話したが、どこもかしこも満員で予約が取れない。結局、翌日の30日は朝からの1日シュノーケルツアーに参加した。
 ツアーから帰ってきて夕刻、あちこちのショップに電話を入れたがやはりダメ。最後に「日本人のスタッフはいないが・・・」と書いてある『 Fish'n Fins 』というショップに電話を入れたら、二つ返事でOKだったので、ここで31日、元旦と2日間世話になった。つまりは、日本人 観光客、ダイヴァーがパラオ経済に大いに貢献している、というわけだ。
 31日は、オリヴァ−というアメリカ人ガイドで、メンバーは我々夫婦と、ドイツ人の夫婦とオランダ人の男性、イギリス人の女性の6人。イギリス人の女性はヒラリーという名で、日本に9年も住んでいる英語の先生。翌元旦はその彼女とオランダ人男性、 それに新たにドイツ人6人グループが加わって10人。ガイドはレニーというやはりアメリカ人だっ た 。
 そのドイツ人グループの一人は、身体障害者で下半身が動かない。手にヒレの ついたグローブのようなものをつけて潜っていた。大したもんだ。彼が船に乗り込む時、エントリーやエグジット時、皆で船べりまで運んだり、引き上げたり。みんなベテランらしくハウジング付きのでかいカメラやスーツ持参で、こちらはちょっとビビッたが、ガイドに初心者だから、と何回も念を押して何とか付いて行けた。

(事務局より:海の中では体重から解放されるとはいえ、たくましい人です)

 31日は波が荒くて沖には出れずに、コロール(KOROR)島に近い湾の中で日本の沈没船(僕らが見たのは 多分 No.24だが、この辺りには何隻も沈んでいる。零戦も何機か。)を見て、No.23の『シャンデリア・ケイヴ:Chandelier Cave(海底鍾乳洞)』に行き、最後 は『ジェルフィッシュ・レイク:Jellfish Lake』。 雨が降っている時には寒かったが、海は暖かだっ た。海中にいる方が暖かい。

(事務局より:文中の番号と地名については、このページの左下方にある地図を参照してください)

『ここの奥に幅3メートルくらいで高さ50センチくらいの穴があいていて、そこをスーノーケルで通り抜けるとポッカリと静かな中海がある。つまり、この島は「ドーナツ状」になっている。中は静かで、魚は少ないようだが、プカリプカリ浮かんで空を見上げていると、色々な鳥が行き交う。まるで、別天地だ。場所は忘れたが、このような島は結構あるようだ。』

 湾内に沈んでいる日本の軍艦のポイントでは透明度もあ まり良くなく、ちょっと無気味だった。ガイドのオリヴァーが、潜る前に、甲板から狭い通路を通って船の先端にある部屋まで行くか?と言っていたが、それだけは勘弁してもらった。
 海底鍾乳洞は海中8メートルくらいのところ に入口があり、そこから入ってしばらく行くと第一の鍾乳洞があり、ここでは海上に 顔を出せ見物できる。それから第2、第3と奥へ行くのだが、二つ目を過ぎた辺りからもう真っ暗。ライトを照らしながらのダイヴだ。はぐれたらどうしよう、帰れなくなったらどうしよう、と心配だった。そもそも洞窟なんて地上でも気味悪いのに、まして海底洞窟なんて、この閉塞感はたまらん!
 第4の鍾乳洞を抜けたらガイドのオリヴァーが、ライトを 消せ、という。しかも、早口の米語での説明だ。真っ暗なのに何で?とますます不安。第4鍾乳洞の先に出口があるのだが(洞窟はU字型になっていた)、そこからもれてくる青いほのかな光が とても神秘的できれいだった。それが出口に近付くにつれてだんだん大きく広がって いく。水越しに空が見えた時にはほっとした。不安続きだっただけに、なんとも言えぬ開放感を味わった。もう1本は「ジェルフィッシュレイク」 でくらげと一緒にダイヴィング。

(事務局より:閉所恐怖症の私も、ちょっと探検してみたくなります。鍾乳洞の中には生物はいなかったのかな?)

 元旦は、やはり同じ所からボートに乗り込んで、礁湖中に点在する数々の島々の間を通り抜け、『ジャーマン・チャネル:German Channel』を通ってNo.61の『タートル・コーヴ: Turtle Cove』へ。ここまで、ボートで1時間以上かかる。実は、スノーケリングでも、この近くまで来ていた。
 その後、昼食を取るために途中の島まで引き返し、食後しばらく休息をとってから、再びGerman Channelを通ってNo.66と67の間くらいにある『タートル・ウォール:Turtle Wall 』へ。この近辺が、地図の各名称からも分かるように、「ドロップ・オフ」になっているところが多く、そのドロップ・オフ沿いのダイヴだ。底は全然見えない。ボートの左側はバックドロップも出来ないくらいに浅いが、反対側は底なし。200メートルとも1000メートルとも言われている。潜って、ウミガメと戯れたりしながら崖に沿ってダイヴしていると、まるで鳥になったようだ。サメにも出くわしたりして。
 この先(北側)に有名な『ブルー・コーナー:Bleu Corner』『ブルー・ホール:Bleu Holls』がある。 ボンベの空気が無くなった順に上がるのだが、僕はいつも2番目。1番目はいつもオランダ人男性だった。ガイドのレニーがあっちの方向に上がれと合図。とりあえずそちらの方向に向かって浮上する。海上に顔を出すと、とんでもないところに浮かび上がっている。 島は遠くにあり、見渡してもまわりには何もない。しかも波は大きなうねりを作っている。オイオイ、どうなっちゃうんだろう?と思っていると、しばらくしてボートが寄ってきて拾ってくれた。これがボート・ダイヴの不安なところだ。ちなみに、上記の「ブルー・ホール」は、前述の「シャンデリア・ケイヴ 」のもっと大きなものを思われる。

(事務局より:この『TURTLE COVE』というのは、海中の崖に出来た窪みを指すのでしょうか?)

 ひとつ気付いたのだが、魚はいつも縦に泳いでいるものだとばかり思っていたが、横になって(つまり平たく)泳ぐこともあるんだ。こちらがカメラを向けるとポーズを取るように横になる。しばらくこんな格好で泳いでいる。おかげで上から下に向かってカメラを向けることができるので、撮りやすかった。これは、警戒しているのだろうか?それとも大きな面を見せて威嚇しているのだろうか?

(事務局より:これが一番の観察眼ですね!言われてみれば、そんなことと思う人もいるかも知れませんが、気づいて記録に残し、考えてみる姿勢が大事だと思います。私は崖沿いに泳ぐ魚によく見られる行動だと思います。皆さんは如何ですか?
 キンチャクダイ科では、雄が下方にいる雌に対し、体を横にねせて誘う求愛行動(soaring)が見られますし、崖の頂上付近でニザダイやボウズハギが同じようなディスプレイを行うのを見たことがあります。水平方向ではなく、縦方向に信号を送る時あるいは視野を拡げる時の魚の姿勢といって良いでしょうね。)

  今回は、沈没船、海中鍾乳洞、ドロップ・オフ、それに岩のトンネルをシュノーケルを使っ てくぐり抜けると、池みたいになっている別天地 、と色々経験できた。海の不気味さ、 神秘さ、美しさ、不思議さ、などをまた知ることができた。少し、自信もついた。

 最後にもう一つ土産話を。パラオは前述の通り観光名所はない。レストランも、地元の「ロコ」が行くようなところはない。目立ったのはやはり日本レストラン。居酒屋に寿司屋。それに焼肉屋、中華レストラン。最近できた、カプリチョーザもあった。つまりは、観光客相手の所しかないようだ。
 食いしん坊の僕としては、普通ならば現地の人が好んで行くようなレストランを探すのだが、今回は何を食うべきか迷った。パラオまで来てカプリチョ−ザでスパゲティーもないもんだと思い、結局、夕食は日本の居酒屋をあちこちはしごして、日本ではなかなか食えないような現地の食材を使った料理を片端から食った。マングローブ蟹、ヤシ蟹、シャコ貝のさしみ、ナポレオンフィッシュの空揚げ、タロイモのてんぷら、 ”ワサ”(魚の汁を煮込んでどろどろにしたやつにタピオカをつけて食べる。塩辛と蟹みそをまぜたような感じのもの。これでタピオカがイモだとはじめて知った)、”カンクン”という野菜のソテーなどなど。
 最後まで悩んだあげく食べなかったのは、Fruit bat。コウモリだ。毎晩あちこちの居酒屋に行っては、現地の女性従業員に「Youコウモリ食べたことあるか?」と聞いてみたのだが、だれも、食べたことはない、牙なんか見たら恐くて食べられない、とのことだった。現地の人でさえ食べたことがないものを、誰が食べるんや!と、結局食べなかったが、食の探究家を自負する僕としては、ちょっと心残りだった。

事務局より:

 最初の記念碑的なログなので、ほぼ全文を紹介しました。次は水中写真もどうぞ。海の中のことだけでなく、風土や土地の人々についても心を開いて見つめる姿勢が大事だと思います。他の会員の皆様も、どうぞお気軽にTOPIC PAGEへ記事を投稿して下さい。事務局一同お待ちしています。

 お土産の地図の中に、ダイヴァーに向けてメッセージがあり、「後に残すのは泡とウェイクだけにして下さい」と書かれていました。是非とも心掛けたいものですね。
(余吾 豊)

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