LET'S STUDYING - 6(6)
 
 このセミナーは、BBSで話題になっている生物について、
  情報を提供し、会員の方からの質問を引き出し、さらにそれに
  答えていくものです。

      
魚類の性(SEXUALITY IN FISHES)

1.性が変わる 6/12/02
2.変わりやすいのか、変わりにくいのか(新しい時代)7/1/02
3.婚姻システムと性転換(発展期)7/9/02 
4.婚姻システムと性差(発展期2)8/17/02
5.婚姻システムと性差(拡大発展期)8/27/02
6.婚姻システムと性差(変革期)9/26/02


関連BBS:936,937,939,941,943,945,999,1095

追加 魚の性ー5の6)に補足です。

 プエルトリコでの麻生さんと吉川さんの研究生活は朝日新聞社
刊のAERA Mook「学問がわかるシリーズ18「動物学がわかる」
にも紹介されていて、ロイヤルグラマと言われる日本のメギスに
近縁な魚の研究経過が面白いです。

1)梁山泊

 1987年、桑村さんから、ダルマハゼの共同研究を始めないかとのお誘いがありました。白浜でのシンポの時、彼はそんなことを一言もしゃべりませんでしたが、すでに予備調査もしていて(感心した)、じっくり準備していたのですね。僕は、坊津でオキゴンベの調査を続けていく予定でしたが、ダルマハゼも、自分で書いた本の中で「謎だ!」と言っている以上、放ってはおけません。「やりましょう!」と言うことでスタートしました。中嶋さんも加わるというので、それぞれ、持ち味を出せると良いなと思いました。最初に、それぞれが研究計画を持ち寄って、京大で集まりました。

 オーストラリアのB. R. Lassig 博士によるダルマハゼ類の雌雄性と社会構造についての論文が1970年代後半に出ていました。一つのサンゴに3尾以上のハゼが住んでいても、繁殖するのは1ペアだけであり、しかも、雌から雄に性転換する(雌性先熟)というのです。これには全く納得できませんでした。白浜のシンポでも「訳の分からない魚である」と紹介し、懇親会の場で、柳沢さんから「どうなっているの?」と聞かれましたが、「聞きたいのはこっちですよ。ただ、雌性先熟というのは正しくない。きっと、クマノミのように最初はどちらへも性分化できるのではないでしょうか。未分化個体が最初に雌になる例が多いだけではないかと思っています」と話したように思います。雌から雄に性転換するもので、サンゴの中だけにグループで住むのなら、雄は1尾でしょうが、2尾以上のメスに産卵させると考えていたからです。桑村さんも、中嶋さんも僕と同じ疑問を持っていましたし、本当に一夫一妻なのかという点にも疑問を抱いていました。ミスジリュウキュウスズメダイの例が、3人の頭に強く刷り込まれていたという背景もありました。また、オキゴンベもペアで居ながら(一夫一妻という確証はなかったのだけど)、メスから雄へ性転換していそうなので、これはどちらも調べなきゃと思っていました。しかし、サンゴの中に住むダルマハゼを調べるのはちょっとしんどいだろうし、浅い海底に這い蹲ってサンゴの中を覗き込むのは辛気くさいなと思い、オキゴンベからやろうって思っていたところでした。桑村さんのお誘いは、まさに渡りに船だったのですね。

 さて、1987年4月に、沖縄で生態学会が開かれ、それに参加した後、桑村さんと瀬底島へ行きました。ワークショップ以来、2度目の瀬底島でした。前回は本部港より上陸用舟艇で渡りましたが、この時には瀬底大橋が架かっていました。ここには、琉球大学の熱帯海洋科学センターがあり、琉大だけではなく、国外、国内からいろんな海洋生物学者が集まって居ました。センターの前は、一切の採集を禁止されたエリアがあり、その両側では特別再捕許可を沖縄県知事に申請した上で、サンゴの採集が許可されていました。宿泊設備もあり、殆どの人が共同炊事で、夜遅くまで生物の話で盛り上がっていました。この当時は、サンゴの白化やオニヒトデ禍もなく、海は健康で、魚も多く、人も多く、海洋生物生態学の梁山泊と言っても良い存在でしたね。近年は、白化と赤土の流入により、めっきり寂しい海になっているそうです。



図22 瀬底のセンター前の海岸。艇庫のスロープから海に入る。
    この頃の海は健全でした。背景は本部半島。

2)ダルマハゼとオキゴンベ

 ダルマハゼ類は、ショウガサンゴ、ハナヤサイサンゴ、トゲサンゴの中に住んでいます。まず、このサンゴを覚え、それから、ショウガサンゴだけに住むダルマハゼを調べ始めました。この調査の話は、中嶋(1997)が詳しく紹介していますので、ここでは僕しか書けない挿話に止めます。ともかく、それまで、唯、水に潜って観察だけしていた僕にとっては、サンゴの回収、再設置、野外水槽でのサンゴやハゼの飼育、強制同居実験、卵数測定、野外での除去実験など経験のないことだらけで、結構しんどかったですね。毎晩、議論が深夜まで続くと言うこともあって、睡眠不足もありました。共同研究ですから、自分のペースで休むと言うことが出来ないし、桑村さんと中嶋さんが腰を痛め、重いバケツに入れたサンゴを運ぶと言う苦役を一人でしょったこともあります。僕が老眼になり、サンゴの中のハゼが見にくくなってしまったこともありました。これは、お二人が書いていないので、僕が書きます。お二人が暖かい沖縄でお正月をすごしている時、僕は寒風吹きすさぶ津屋崎の実験所で、せっせと生殖腺の組織切片作りをしていたということもありました。

 1987年の春、沖縄から戻り、坊津へ出かけました。オキゴンベの調査を本格的に始めるため、地図作りに行ったのです。坊津での調査は1983年に始まり、最初は坊津の漁民センターに泊まっていました。しかし、滞在費が嵩むので、この頃は指宿の頴娃町(お茶で有名)に古い病院の寮を九大が借り受けて、そこに泊まりました。フィールドワークでは器材や薬品などはそう掛かりませんが、皆、旅費に苦しむのですね。中園さんのコウライトラギスヤナガサキスズメダイの調査、須之部さんのナンヨウミドリハゼの調査等の基地になったところです。キタマクラを調べ始めていた浜口さんも一時、利用していました。また、幸田さんがセダカスズメダイを調べたのもこの近くでした。地図作りは、Let's watching に詳しく書いています。未完成の地図を持って海から上がってくると、測量をしていた人が寄ってきて、「何を調べているのですか?」と聞くので、「測量をしています」とちょっとふざけて話すと、目の色が変わりました。「難しいですねー」と言うと、色々アドバイスを下さり、その後、坊津の小縮尺の地図などを送って下さいました。

 その後、浜口さんが坊津に空き家を借りました。確か1月5千円だったと思います。頴娃町の須之部亭は少し遠く、不便だったからです。僕もオキゴンベの産卵は日が暮れてだろうから、定点から近く、便利の良い浜口亭に泊まり、夏に産卵を見ることが出来ました。坊津の町は、道が狭く、坂道だらけで、離合するのも大変でしたが、誠にのどかなところで、情緒があり、大好きなところです。九州では、薩摩白波という焼酎のコマーシャルで坊津が出ます。見るたびに懐かしくなり、グラスを傾けてしまいます。「わーれは うみのこー しらなみのー」。失礼。潜水調査に当たっては、中園さんが漁業組合に目的などをよく話し、許可を頂いていました。僕らも調査の度に、組合に挨拶に行っていました。「魚を刺し網で採集しますけど」と言うと、「熱帯魚でしょ、良いですよ」と笑っていました。この辺りの海にはアワビやサザエという磯ものが居ないので、鷹揚なのですね。

 ダルマハゼの研究は、随時、魚類学会、日本動物行動学会、ゴリ研究会、魚類生態研究会などで口頭発表をしていきました。1988年でしたか、京都府立大での動物行動学会でポスター発表をしました。この時は、ペアのオス、メスのサイズが近いことと、サンゴ間移動の話をしました。3人でポスターの準備をしていると、中嶋さんが展示用のサンゴの標本を床に置きました。どれどれと手に取ると、どうもショウガサンゴには見えない。「えっ、これ、ショウガサンゴ?」というと、中嶋さんがムッとしました。自信がない僕は直ぐに桑村さんに渡しました。彼はしげしげと見ていましたが、「うーん、そうかなあ。違うんじゃないの」と言います。中嶋さんはついに目を剥き、「魚では負けるけど、サンゴは僕の方が詳しいのや!」とトーンが高くなりました。それでも、桑村さんは、胡散臭そうに見ています。周りで聞いていた院生が、「なんちゅう研究チームや!」と大笑いしていました。与太話ですが、それはやっぱりショウガサンゴだったのです。



図23 動物行動学会発表ポスターの前で(1988)
左から中嶋、余吾、桑村(やっと納得し、サンゴを持って笑っています)

 研究というのは、えてしてシンクロがよく起こるのですが、この頃、双方向性転換は、別の魚種でも研究が進んでいました。続く。

ここから後半 9/26/02

3)双方向性転換

 1988年の早春、福井県で、植物の個体群生態学を押し進めている「 種生物学シンポ」に参加しました。「植物研究者の前で、動物の性の話をしませんか?」と、白浜でお会いした河野昭一先生からのお誘いでした。楽しかったですね。それまで、群集一辺倒だった植物生態学の中から、個体群に目を向けた新しい動きを持った会合でした。参加者の中にはテンナンショウというサトイモの仲間の性転換を研究している方もおられました。植物の性転換って全く知りませんでした。魚類の性転換についての講演が終わり、質疑応答の前に、若い女性が、「お疲れさま、どうぞ一杯」と一升瓶からぐびぐびとお酒をついでくれるのです。講演の壇上で酒を飲みながら質疑応答をするなんてあまりないことですね。良い機嫌になり、一体何をしゃべったのやら・・・翌日は、東尋坊へ出かけ、近くの水族館にも寄りました。フサギンポを初めて見て、でかいなあ、どう猛そうな奴だなあ、天ぷらにすると旨そうだな等と思いました。

 縁あって、1988年4月から大分県の日田市という盆地にある高校の教員になりました(当然、周りには海が完全になかった!)。友人は、何でそんな山の中に?と言ってました。僕自身そう思います。職場にはなかなか慣れませんでした。毎日ストレスだらけでしたが、ソフトボール部の練習に混じって汗をかいていると、少し気が楽になりました。ダルマハゼの研究は、一年が過ぎ、メニューが増え続けていましたが、最初の頃はなかなか休みが取れずに、お二人にかなりの負担を掛けました。バケツ運び云々どころではなかったのです。その後、理事長と校長の理解を得て、職免という形でフィールドに出ることが可能になりました。

 2尾の同性個体を強制同居させて、オスからメス、メスからオスへの性転換が起こることを確認できたのは、1989年のことでした。同居させていたサンゴから2尾を取り出し、麻酔を掛け、測定した後に、実体顕微鏡を覗き込み、入れ墨の位置から誰なのかを確認し、生殖突起の形を調べるのです。3人で、水槽と実験室の間でサンゴと魚の運搬、測定と観察、記帳と分担を交代しながら続けました。麻酔に掛かっている時間が長すぎると弱ってしまいます。慣れない頃は、もたつき、入れ墨を失敗したりしてしまい、「ハゼが弱っているよー、急いで」という声に焦ったものです。オスがメスに、メスがオスに変わり、しかも新しいペアとなって産卵もしていたのです。組み合わせる前は繁殖していたペアでしたから、機能的な双方向の性転換を何例も確認することが出来ました。地道な根気の居る調査でしたが、まず、飼育条件下での成果を上げることが出来ました。

 その頃、九大ではオキナワベニハゼで、双方向性転換を確認しようとしていました。また、東海大学ではオキゴンベの強制同居実験を行っていました。魚は違うのだけれども、3カ所で、似たような飼育実験が進行していたのですね。この成果は、小林・鈴木(1992)とSunobe and Nakazono (1993)として印刷されています。

 瀬底では、飼育実験だけでなく、野外でも双方向性転換を確かめる調査を行っていました。一つは、ペアの片方を除去して、単独化させ、その後の経過を追跡する調査で、もう一つは、標識だけ施し、あとは自然に任せて追跡する調査です。この野外調査が一番、時間が掛かりましたが、1991年の夏についに確認できました。

 ダルマハゼでの双方向についての適応的な意義を見出すことが出来ました。その要点は中嶋(1997)に紹介されていますので、ここでは省きます。

 これらの成果をまとめ、1991年に京都で開かれた国際動物行動学会(IEC)で発表しました。京都の会議に続いて、参加した魚類学者達が瀬底島に集まり、
IECのサテライト・ミーティングが開かれました。 E. Fisher、E. Reese、T. Ronaldson、R. Ross、D. Shapiro、R. Warner、日本からは桑村哲生さん、佐藤哲さん、中嶋康裕さん、中園明信さん、柳沢康信さん、吉野哲夫さん、新進気鋭の赤川 泉さん、麻生一枝さん、狩野賢司さん、坂井陽一さん、、渋野拓郎さん、須之部友基さん、浜口寿夫さん、宗原弘幸さん、藪田慎司さん、吉川朋子さんなどが出席し、大盛況でした。とても実のある集会だったと思います。最終日には、弁当を持って水納島で潜りました。北側のパッチリーフでしたが、とても水が良く、水深15m程度の海底に点在するパッチ間をタテジマヤッコのオスが忙しく泳ぎ回っていました。透視度が素晴らしかったのですが、行動圏がとても広いように思えました。しかし、この魚を調べるのは大変だろうなとも感じました。

 ダルマハゼは1991年に終了しましたが、少し前後してコバンハゼ類の研究に取りかかりました。これが1992年まで続いて終了しました。途中で、ウミタケハゼにも手を出しましたが、卵が見つけられず、これはあきらめました。

4)コバンハゼ

 個人的には、瀬底島へ出かけるのが精一杯という感じでした。何とか工面して坊津にも行きましたが、道路工事などで海の様子は変わり、さらにオキゴンベの定点では、大がかりな駐車場拡大工事が始まりました。車から降りて海にはいるのは楽になりましたが、定点からゴンベが姿を消しました。時間を掛けて作った地図も無駄になりました。

 1992年3月に始めて担任を受け持ったクラスが卒業しました。やれやれ。この頃は、ルーズソックスもミニスカートも金髪も流行していない時代でした。皆、額にすだれのような前髪を垂らしていました。面白いものです。教員になるとは、全く考えていなかったのですが、ちょっと、目頭が熱くなりました。それでも、生徒達は、「先生、ちゃんと泣かんといけん!」なんて言ってましたね。可愛いものです。翌日の夜、生徒達は家族全員を招待して卒業コンパを開いてくれましたが、皆がパーマを掛け、下手な化粧をし、ピアスをし、自家用車で集まってきていたのには驚きでした。一体いつ、免許を取ったんかー!?

 新年度が始まって衛生看護科の担任となり、校務は忙しくなる一方。ソフトボールのコーチも忙しくなる一方。1993年には、日本とハワイでの国際交流試合があり、ハワイへ選手団と遠征しました。日本からは大学生と高校生チームが参加し、僕は、福岡、大分、神奈川県の選抜チームのコーチとして、海外旅行を楽しみました。その時、ハワイ大学で研究中の麻生さん、吉川さんとに再会することが出来ました。お二人は軽快な服装で、自転車に乗って待ち合わせのショッピング・モールに現れました。ワイキキの浜辺へ行き、ビール、サラダ、サンドイッチを持って、桟橋の上で、色んな話をしたことを思い出します。また、ランドール博士の居るビショップ博物館にも遊びに行きました。ハワイのバスでは、降りるときに天井からぶら下がっている紐を引いて知らせるのですね。たまには、こういう楽しみもありました。

5)多様性

 コバンハゼの研究は1993年にバンコックで開かれた第4回インドー太平洋国際魚類会議で発表しました。バンコックの Suda Palace と言う割と安いホテルに泊まったのですが、窓を開けると、飲屋街です。店の2階が住居になっていて、子供達や老人が、洗濯物を干した室内でごろごろと寝転がっているのが丸見えです。下の店は、夜11時くらいから急に騒々しくなり、客が来る度、盛大に爆竹をならします。最初の夜は、なかなか寝付かれませんでした。翌日は大層立派なホテルで開会式とパーティがありました。立派なホテルでした。フロントデスク周辺にいる女性従業員達はモデルと見違えるような姿態。美しい笑顔で綺麗な英語をしゃべります。この時の記念写真の撮り方が実に面白かったのです。大きな部屋の中央にカメラを置き、出席者が壁際に円形に並びます。そして、カメラを一回転させて写すのです。その間、皆は体を動かさないようにするのですが、顔が引きつるのはやむを得ませんでした。

 翌日、レプトの研究者の望岡君とウミタナゴの桜井君と一緒に大きなマーケットに遊びに行きました。僕はバンコックのスモッグ、車やバイクの暴走、渋滞、タイ料理の香辛料の臭いに頭痛を覚えました。川は淀み、腐臭を放っていました。気分が悪くなり、先に帰りました。その夜、同じホテルに泊まっていた高知大の山岡耕作さんと、近くの店で飲みました。僕が頭が痛く、バンコックは嫌だなーというと、「アフリカに行った時、僕も最初は同じだったと思う。平然と賄賂を要求する税関官吏、時間や約束に対するルーズさ、不衛生、色んな面で嫌だったよ。ところがねー、2,3日では無理だけど、長くいると、そんなものとは違うものが見えてきて、たまらなく好きになるんや」と笑っていました。

 とはいうものの、短期の滞在ですからそんなに時間はありません。僕が面白いと思ったのは、多様性でした。例えば、タクシーですが、様々なタイプがあります。
正規?のタクシーでも、黙っているとメーターを倒さないので、交渉をするか、あるいはメーターを倒してもらうか、走り出す前にこちらからはっきり要求しないとなりません。白タクも多く、その他に、トゥクトゥクというバイクが曳く乗り物や、バスもエアコン装備のものやそうでないもの、さらに、トラックの荷台にベンチを並べたものものまであるのです。交通手段には実に様々な選択肢があり、懐具合と時間に合わせて、人がそれなりのものを使う。町を歩いていると、歩道にヘルスメーター(体重計)を置いたおばあさんがおり、体重を測った人が小銭を置いていきます。

 なんだか、熱帯雨林というかサンゴ礁のように多様で、細かな網の目が張り巡らされているようだなあと思いました。この頃、1バーツが5円くらいでした。10バーツ札というのがあり、これが皆、くしゃくしゃなのですね。お釣りをくれる時、10バーツ札と10バーツ硬貨があると必ず、お札の方をくれます。これは皆が嫌っているらしく、そのために手から手へ、移っていくので、ますます、グチャグチャ、手垢にまみれていくようでした。

6) AUNJ

 コバンハゼの調査が終わり、次の共同研究をどうするかということが話題になりました。僕は段々と共同研究から腰が引けるようになってきました。操作実験研究に僕は抵抗を覚え始めました。また、共同研究にリズムを合わせるのにはちょっと無理も出てきていました。コバンハゼの終了をもって、僕は共同研究から身を引きました。有り難いことですが、引き留めもしてくれました。でも、離合集散は世の習い。要するに、今後、調べたい何かが違うし、研究を継続する環境も異なると思えたのです。もっと、基礎的な段階で分からないことが山ほどあるし、僕はそちらに興味がある。一番にやろうとしたのが、オキゴンベの調査の再開と御蔵島の淡水生物調査でした(これは南風泊通信記をお読み下さい)。

 1995年3月に高校を辞職しました。高校の衛生看護専攻科の生物学の講義は2年ほど続けました。潜水業務のイロハから教えて下さった南里寛治さんの会社に入りました。前任の顧問の方が亡くなり、後任を捜していたところだったのです。この会社で、若い人達に、報告書の書き方や調査法などを指導する仕事でしたが、いつの間にか研究から離れて、どっぷりと現場の世界に踏み込んでしまった自分が居ました。

 1997年に第5回インドー太平洋国際魚類会議がニューカレドニアで開かれ、参加しました。三宅島でお会いしたR. Thresher博士とは15年ぶり位に再会しました。アメデ島でのダイヴィング・ツアーに参加し、その時バディーを組んだのが会員の遠藤さんでした。イル・デ・パンに遊びに行き、その時に撮った写真がこのHPの最初の写真です。僕がこれまでで一番美しいと思った風景です。

 1999年の夏、(株)海游舎の本間さんから、モイヤーさんの「覗いてみよう海の中」の出版記念パーティーの招待状が届きました。本間さんは以前、「魚類の性転換」の編集でお世話になった方です。このパーティの出席者の大部分は、三宅島でのサマースクールの卒業生達でした。殆どは若い人で、モイヤーさんを慕い、将来も海と海洋生物のことを学んでいこうという熱心な人々でした。魚類研究の世界に居ると、こうした人達と親しく付き合うチャンスはあまりありません。僕には新鮮な出会いでした。一般のダイヴァーの生物観察ブームが盛り上がっていることは知っていました。しかし、希少な生物を追い求める風潮には寂しい気持ちを抱いていました。身近な海にいる地味な生き物にもそれぞれに面白い生態があるし、謎の宝庫でもあるのだということを知らせたい。このパーティに出席して、いつでも、誰でも参加できる、学び、話し合う場があればと感じました。これがAUNJを作ろうとした土台だったと思います。さらに、モイヤーさんの「イルカガイド入門」の翻訳作業を引き受け、その中で、そうした場の必要性を強く感じました。誰がやるか?科学を研究者だけの世界に止めないで、広く、分かりやすく、拡げる手段はないのか?そこでは一方的な押しつけではなく、双方向の流れを作るべきであり、そこで自分に出来ることはないのか?これが僕の小さな変革でした。そうして、数人の友人と相談しながらAUNJを作る準備を始めました。ダイヴァーの中にも生態観察を楽しんで居られる人がいることも少しは知っていましたが、AUNJを作ってみて、精緻な観察をされている海を愛する人々が大勢居るのだと言うことを実感しています。

図24 出版記念パーティー

これを持って、僕の研究史に基づいた話を終えます。次節からは、テーマを絞った話をしていこうと思います。長い、序論でした。

文献(第1節から第6節まで)

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