DIVING LOG BOOK No.9

ログブックー西薩紀行
 余吾 豊 08/30/06 開始
その1 08/30/06 開始
その2 10/24/06 開始

「西薩摩紀行-1」

前半 08/30/06

久しぶりに 坊津を訪れました。
最初に訪れたのが、1980年で、その後、何度かの休止を挟みながら、すでに26年が経ちました。

今回は業務を兼ねての旅行で、薩摩川内市(合併が多く、古い地図は使い物にならなくなるし、新しい行政区の名前はピンと来ないものが多くて困りますが、これはまだ我慢できる)で漁獲物の調査業務を終えて、坊津に行ってみようと考えました。海に行きたいのと、頴娃町での宿舎の様子が気がかりだったのです。前回は2年前に利用したきりですから、カビ君、ゴキブリ君、ダニ君、クモ君、アリ君、ヤスデ君、アカテガニ君等が猛威を振るっているのは容易に想像できたからです。

荷物が多く、車で行きました。出発間際にエアコンのパイプのどこかに孔が開き、「修理には1週間ほど見てくれないとね」と言われ、次男の車は今度は貸して貰えない。困りましたが、仕方がない。まだ、脚の痺れが治らないし、時々酷く攣るので、スクーバは見合わせました。骨盤の緩みが全く治ってなく、腰がだるく、タンクを持つのも、坂道を上るのもしんどいのです。

川内へ向かう途中の道の駅から念のために現場の事務所にいる担当者に電話すると、「今日、来られるのですか?明日だと思っていました」と思いがけない反応。どうやら、福岡営業所の総務が連絡ミスをしでかした様子。「済みませんがそのまま来て下さい。明日一日は待機と言うことで御願いします」と電話の向こうで恐縮しているのが分かる。待機は構わないけど、後の日程が1日延びるのが困る。まあ、こういうことは良くあることなので、そのまま川内へ走りました。

八代から川内方面は新幹線の開通で、第3セクターの肥薩オレンジ街道となり、閑古鳥が鳴いています。何処もここも第3セクターの失敗が多い。どうしてくれるのだという住民の声には知らんぷり。長崎ルートも揉めていますが、押し切られ、同じ運命を辿るのでしょうね。

宿は作業員やセールスマンのためのいわゆる商人宿で、駐車場が広く、掃除が行き届いて清潔なのが気に入りました。中には凄いところがありますものね。長崎県の松島で山本(正)さんとご一緒した商人宿は大したものだった。初対面の人達と挨拶を交わして夕食。商人宿の気楽さで、たちまち、テーブルの上にはそれぞれが持ち込んだ酒瓶が並ぶ。土地柄で、「伊佐錦」が最も多い。

翌朝、埋め立て地に立っているプレハブの現場事務所で責任者の方と挨拶。これも初対面。周りは廃材やゴミ類の他に何もなく、さぞかし冬の夜などは寂しいだろうと彼らに同情しました。翌日の作業工程や準備する測定具、配置等を打ち合わせ、後はフリー。さて、どうするかと考えました。先輩が川内で病院をやっているのですが、そこを訪れるのは何時でも出来るし、1日は長い。鹿児島にいる出羽君に電話すると、明日までは動けないと言う。そこで、まだ行ったことのない桜島へ行こうと思いました。

川内から鹿児島市までは約50キロ。1時間ほどで着き、港から桜島フェリーに乗る。10分間隔で動いているので待つ間もない。海に出ると心地よい風がふんだんにあります。冷房とは比べようもない心地よさ。


フェリー甲板の愛車ユーノス・ロードスター。
18年経過、今年は車検で悩みましたが、やはり手放せません。


桜島。「我が胸の燃ゆる想いに比ぶれば煙は薄し桜島山」
誰の歌か忘れました。

周回道路を走っていると三宅島の風景とダブり、三宅はどうなっているのだろうと考えてる。桜島の最新の噴火は三宅島よりも前で植生の復活がかなり進んでいる。鹿児島の住民は降灰に悩んでいますが、毒性のあるガスの噴出がないのが幸いですね。桜島を半周し、錦江湾の湾岸沿いに反時計回りで鹿児島市内へと戻りました。とにかく暑くて、クーラーボックスに入れた氷水で濡らしたタオルを首に巻き、窓は勿論全開。オープンにすると体が燃え尽きるのは必定。ユーミンの歌を口ずさんでしまいます。「ダッシュボードで卵が焼けるほど♪〜」だったかな?僕の肝臓の担当医、中村東樹さんはユーミンのキチガイで、歌によって荒井由実と松任谷由実を使い分けないと叱られてしまいます。僕は身の安全のため、ユーミンで済ませます。彼も一応、会員です。脱線。

鹿児島市で十島村(トカラ列島の行政区)へのフェリー発着所へ行き、時刻表など資料を全部貰う。今度は、トカラを歩くつもりです。口之島、中之島、諏訪之瀬島へは行きましたが、まだ、南トカラは未踏。2年前の研究航海で宝島、小宝島、悪石島等で潜る予定だったのですが、台風で引き返したのが残念。日にちに余裕がないとそうそう簡単に行けるところではないのです。奄美まで飛行機で飛び、北上しながら島を巡るのがベストなのでしょうが、2週間はみておかないといけないかも知れません。会員の河津優司さん(ミニ集会に参加)は、鹿大の建築学科にいた時代に宝島に残るイタツケ漁船を調べ、「トカラ列島ーその自然と文化」(古今書院)に論文を書いています。

翌日、業務に参加。刺し網とゴチ網という船曳網の漁獲物を調べ、測定します。最初から難しいものが揚がってきました。僕の苦手な軟骨魚類と巻き貝類です。小型のサメの第1印象はドチザメ、あるいはホシザメの仲間だろうでした。しかし、そのどちらでもないことは確か。サメ類の同定など学生実験以来、やったことがない。現場では魚が傷むので、図鑑を調べている余裕はない。とっさに記憶にすがってヒラガシラと書き、アルバイトの学生さんに測定方法を教え、記録する。学生さんは二人で、どちらも水産学部だが、生物系ではなく、水質などの環境分野と水産経済の分野。どちらも魚類学実験の経験はない。それで魚を扱うのが嫌な様子。「シャークだー」とか言いながら、恐る恐る、サメを触っている。

学生実験の時に使った「魚類の形態と検索」ではヒラガシラは出ていたが、すでに抹消された和名となっていた。
記憶は既に大昔となってしまったのである。


エイラクブカ。戻って調べたらヒラガシラではなかった。
尻鰭の起部が第2背鰭より後にあるのが近縁のタイワンザメ科と異なる標徴。



頭部のアップ。口の縁にある皺が決め手の一つになるとのこと。
裏返して写真を撮っていたのが正解だった。

次のポイントでも同じサメが揚がってくる。しかし、並べていると少し違うものが混じっている。第1背鰭と第2背鰭の斑紋が違うし、尾鰭の斑紋も微妙に異なる。ヒラガシラ?として記帳。これは後でツマグロエイラクブカと判明。

次のポイントはアカエイがどっさり。揚がってきて出産したらしく赤ちゃんもどっさり。アカエイを掴んで測定しようとするけど、ヌルヌルして何度も手こずっている。2つ並んだ噴水孔に指を掛けて掴むように教える。「ナルホドー、これなら簡単、簡単」と喜んでいる。硬骨魚類はアカヤガラ、コショウダイ、クロダイ、カンパチ、タマガンゾウビラメ、ギマ等で種類数は少ない。後は、僕が嫌いな巻き貝やカニ類。これらの多くは自信がないので、サンプルとして持ち帰り。


スミツキザメ。第2背鰭が黒いのが第1の標徴となる。
第2背鰭は第1背鰭よりもかなり小さい。腹鰭起部は第1背鰭よりも相当後にある。
尾柄部背側に欠刻がある(赤矢印)・・等がメジロザメ科の特徴。

午後から、ゴチ網の漁獲物が到着。マダイが多い。多くは20センチ前後の昨年産まれたもの。どれも美しく、塩焼きにしたら最高だろうなと舌なめずり。他に、ヘダイ、クロダイ、キチヌなどが混じる。砂地の底引きなので、種類数は刺し網よりさらに少ない。さらに次のポイントでは、別のサメが入っていた。これは第1背鰭に比べ、第2背鰭が小さく、メジロザメ類であることは確か。しかし、見たことがない。ネムリブカ?と記帳。ネムリブカは第1背鰭の縁が白いのだが、相当に混乱していたようだ。これは元気が良く、前のサメ類よりも幾分大きいので、学生は二人とも尻込みしている。尾の付け根を掴んで階段にぶち当ててノックアウト。こうでもしないと作業が進まないのである。これは帰って調べ、スミツキザメと判明。他には、アカシュモクザメとツバクロエイが少し。

4時くらいに終了。学生の一人は「測定って面白い」と言っていたが、もう一人は「腰が痛くなった」、「手が臭くなった」、「天秤の数値が風で読みとりにくくて歯がゆかった」とぼやいている。後片づけをしながら、次回は風と雨対策をしておかなくちゃと思う。参事さんに地方名を教わり、メモを取っておく。「鹿児島市内ではウマヅラハギのことをカワハギと呼び、カワハギのことをツノと言うのでややこしいよ」と笑っていた。


組合の黒板。参事さんに知らない地方名を教わる。
コゼン:ヒラアジ;コデ:チダイ;川コデ:コショウダイ(コロダイも同じ);
ネリゴ:カンパチの子;ツノ仔:ウマヅラハギの卵巣(最近随分と減ったそうな)

翌朝、宿の部屋の片付けをして解散。鹿児島大学へ向かう。先輩の増田さん(彼も会員:水産資源学の教官)と会って、一緒に出羽君を訪ねる予定。増田さんの資料で埋もれた汚い研究室で四方山話をしていると、出羽君から電話。「裏門に迎えに行って、先導します」とのこと。10分ほどして、裏門へ行くと紺色のハイエースが停まっている。坊やを連れた出羽君と対面。4,5年ぶりだろう。相変わらずがっちりしている。


出羽慎一さん。「海案内」の店内で



後半 08/31/06

出羽さん、増田さんと別れ、湾岸沿いの産業道路を通って指宿方面へ南下。暑い!死にそう!ダッシュボードの上は直ぐに白くなる。桜島の灰なのだ。クーラーバッグの保冷剤は効きが弱い。コンビニでかち割り氷を買ってぶちまける。その上に濡らしたタオルを入れ、時々、顔と腕を冷やす。右腕はすでに真っ黒。火膨れも出てきた。

産業道路から知覧方面の坂に入る。知覧は鹿屋と並んで特攻の基地があった所。武家屋敷でも有名だけど、余りに新しく手を入れすぎて雰囲気が台無しになっている。観光バスが多い。何故、古いものをそのままに残そうとしないのだろう?武家屋敷なら鹿児島の出水か、山口県の長府の方が遥かに風情がある。それで何時も知覧では休憩せずに頴娃町へ向かう。知覧を過ぎると車は殆ど居なくなり、茶畑が一面に拡がる。いつ見ても緑が美しい。

頴娃町の水成川と言うところに九大の宿舎がある。細い石垣に囲まれた路地に入ると薄暗く、ひんやりと涼しい。


宿舎の周囲の風景。人が通るのを殆ど見たことがない。

大家さんは浜崎さんと言って2代続いた眼科医だったそうだ。以前は奥さんが近くに居られたが、昨年、亡くなられた。古い建築の医院はまるで映画にでも出てきそうな雰囲気。吉永小百合が肺病で入院していると言っても信じられそうだ。僕が大好きだった笠 智衆がパナマ帽をかぶり、ステッキを着きながら歩いてきそう。


大家さんの病院。今は無人。

宿舎は以前は看護婦寮だったが、取り壊され、隣りに建っていた食肉工場の独身寮を借用している。プレハブの2階建てで、独身寮であっただけに部屋数が多い。僕も1階に専用部屋を貰っている。宿舎に入るとタタキの所のホワイトボードに中園先生(今年3月に退官された)からの伝言。「硫黄島に行って来ます。戸締まり、火気に注意願います。研究室のクーラーは30℃で入れたままにしておいて下さい」とある。

中園先生は何を考えたか?僕の部屋のドアを閉めたままにしている。悪い予感がする。入るとプンとカビの臭い。電気をつけようとするが何度スイッチをひねっても60ワット電球は点かない。北向きなので薄暗い。先ず、窓を開けようと進んだら、頭と脚に蜘蛛の巣がまとわりつく。床はなにやらざらついている。「ナンノコレシキ」と窓を開け、ライターを点けると、化粧ベニヤの壁は白く、床はゴキブリの糞とアリンコの死体、黒いシミが一杯。ウヘ。

それから2時間、掃除と相成った。幸い、研究室に99%エチルアルコールがふんだんに置いてある。これを薄めてスプレイ容器に入れ、壁、床、天井、窓とあらゆる所に掛けまくる。アルコールの蒸気が充満し、むせるので外に出て一服。車から荷物を取り出したりしている内にアルコールが蒸発した。それから床を掃き、モップで床を拭く。コットもかびが生えている。これにもアルコール。外に出して風に当てる。今晩寝れるかどうかが掛かっているのでしごく真面目によく働く。別人のようだ。

大変に消耗したが、なんとか寝ることが出来るようになった。ビールを持ってきていたのでそれを冷蔵庫に入れようとすると、なんと冷蔵庫のコンセントが抜いてある。ドアを開けると米櫃が入っている。「冷蔵庫が壊れたのだ。発泡スチロールのクーラーボックスと氷を買ってこなくちゃね」と車に行こうとすると、廊下に小さな冷蔵庫が置いてあり、これが動いている。ほっとして、ビールと夕食の弁当を入れる。廊下の床にはぺちゃんこになったアカテガニの死体。


僕の部屋。帰る前なのでコットを立てている。4畳半。板張りなのが好き。

研究室を見渡すと、中園先生の記録がテーブルに拡がっており、クマノミの観察を続けている様子が伺える。部屋に戻り、電球を確かめると切れては居ない。スイッチをもう一度ひねり続けていると明るくなった。どうやら湿気ていたらしい。全て、寝る準備は整った。

翌朝は5時起き。増田さんと笠沙町の定置網漁獲物を見に行く予定。疲れ果て、電気を消すと真っ暗。庭にある防火水槽でカエルが鳴いている。中園先生の焼酎を戴き、弁当を食べ、庭の流しで水を浴び、8時位には寝てしまった。流しの周りにはアカテガニが沢山住んでいる。この防火水槽には大きなヒキガエルが居た。しかし、今年は居ない。トノサマガエルが主になっている。帰ってくると、ポチャンという水音がする。そろりと帰り、覗き込むと、潜水艦のようにカエルが顔を沈める。彼は真剣である。ヒキガエル類(toad)の鳴き声は英語では「rivet!」と表記する。モイヤーさんはこの鳴き真似が実に上手かった。僕もそれを会得したが、いつでも再現できる彼のゲップだけは修得できなかった。


庭の防火水槽

4時半には目が覚め、コーヒーをいれる。カップを持って周りを散歩。静かなものだ。幸い、蚊が居ない。コーンフレークとバナナを食べ、戸締まりをして出発。頴娃町から枕崎を通って、笠沙町までは約1時間。山越えの道を選び、帰りは海岸沿いを走ることにする。

増田さんは定置網に入るバショウカジキの若魚の年齢と成長を調べている。卒論研究の学生も同行し、投棄される小型の魚を調べている。定置網に同乗し、小魚を選ったりしていると大概、邪魔だと叱られる。三宅島伊ヶ谷の定置で先輩に頼まれたハナビラウオやメダイ類の幼魚を探していると、「邪魔だ、邪魔だ」とよく叱られたものだ。叱られ、邪魔者扱いにされてもめげずに続けていると、大抵、漁師さんの中に一人くらい、理解者が出てくるものだ。伊ヶ谷でも「おまえの探しているのはこれか?」と小さなハナビラウオを探し出してくれた人が居た。

笠沙町の片浦漁港に着くと、すでに定置のダンベが帰港しており、水揚げが始まっている。増田さんと学生も隅の方でカタクチイワシとマアジの測定をしている。いちいち、定規で全長などを測っている暇はないので、耐水紙の上に魚を並べ、千枚通しで尾鰭の先端に穴を開けていく。大学に戻ってゆっくりと孔の位置を測れば全長が求められる。忙しそうなので、少し離れて海を覗くとエチゼンクラゲの小さいのが泳いでいる。タバコを銜え、写真を撮っていると後から声を掛けられた。振り向くと、年輩の精悍な漁師さんが睨んでいる。「ここは禁煙だ」そう言って柱に掛けられた禁煙サインを指し示す。「禁煙?ここには燃料タンクはないし、禁煙の水揚げ場なんてあったかいな?」と思いながらも、慌ててタバコを消す。おじさんはさらに、「それにここに入る時は長靴を履かないと駄目。あそこに掲示がしてあるから読みなさい」と怖い顔。

自分の足を見るとビーチサンダル。幸い、川内の業務のために車に長靴が積んであった。直ぐに履き替える。


なるほどと長靴を消毒する。

先程の漁師さんにお詫びを言って、競り場の中へはいる。学生達はサメを測定している。見ると川内での漁獲物と同じスミツキザメ。学生は「なんて言う種ですか」と聞いてくるけど、その時はこちらも知らない。「メジロザメ科には間違いないけど、種は分からないよ」と答える(これは帰ってから連絡した)。

増田さんはバショウカジキを測定している。


バショウカジキの若魚

背鰭棘を輪切りにして成長、年齢などを調べるという。耳石は小さすぎるらしい。この海域ではバショウカジキばかりが漁獲されるそうだ。作業が終わり、増田さん、学生と別れる。今度は野間池、秋目を通って平崎海岸に行く。途中、「笠沙恵比寿」という宿も兼ねた民族博物館風の施設に寄る。建物は立派だけど、展示物には工夫がない。入場料は3百円であるからまあ余り気を悪くせずに直ぐに出る。

そこからは海岸沿いの道。あちこちで崖崩れ工事のために片側通行に引っかかる。既に陽が昇りきっており、これがまた、暑いのである。途中、秋目大島を見る。形の良い島である。何時か潜ってみたい処。潮が速そうだ。


秋目大島

平崎海岸は2年前に枕崎のダイヴィングショップで教えて貰った場所である。オキゴンベの居る所として推薦してくれた。しかし、2年前は降り口を見つけられないままだった。今度はなんと言うこともなく降り口が分かった。2年前は3人で見張っていたのに目印が見つからなかった。不思議なこと。

少し下ると海が見えた。どんつきは狭い。車を反転するのがやっと。土曜日で、ダイヴァーが何人もいる。皆、狭い場所を上手く利用して駐車している。しかし、会釈は返ってこない。どうも九州のダイヴァーは他のダイヴァーを見ると無視を装うというか、敬遠する嫌いがあるようだ。僕が伊豆海洋公園を初めて訪ねた時、誰もが会釈を返してくれるのに感動したのはこのためである。


平崎海岸。美しい場所だ。
エントリーは実に楽。しかし、夜は真っ暗だろう。

なんとか駐車スペースを見つけて、3点セットで素潜り。デジカメは持ってきたが、防水ケースは用意していない。しまったと思ったが、後の祭り。海は浅く、平瀬が点在し、直ぐに砂底となる。砂底と平瀬の間にオキゴンベが居る。「ゴンベ君、久しぶりやのー」と声を掛ける。相変わらず、スットンキョウな顔をしている。背鰭のリボン飾りにはどういう意味があるのやろう?「冗談みたいな魚だ」と何時も思う。ダテハゼ類が多い。ダイヴァーは皆、この仲間を撮影している様子。みんな、凄いカメラやビデオを持っている。僕にはニコノスしかない。

水温は余り高くない。Tシャツなので直ぐに寒くなった。「体は十分に温めてきたはずやけどなあ」と独り言。20分くらいで上がる。宿舎から遠いが、観察にはまあまあの環境である。海底の地図作りも簡単に出来そうだ。今度はタンクとカメラを持ってこよう。ペットボトルに入れた水で体を流して帰る。

帰りの道は今まで通ったことのないルートを選んだ。鹿児島北から鹿児島空港まで高速を使い、そこから県道に出て大口市を経由して水俣へ抜ける。山越えだけど大した標高差ではない。水俣から田浦まで国道。そこから高速に乗って福岡へ。高速は嫌いである。単調だし、マナーを弁えない連中が多い。高速だけにマナーの悪さは重大事故に直結する。追い越し車線をのろのろと走る馬鹿にはうんざりする。普通車線の車と並行して走るのは罰金刑を課して貰いたい。追い越して、目の前にすれすれで割り込む馬鹿も多い。こういう奴は鞭でシバクしかない。タバコを窓から捨てる馬鹿も居る。どれほど、マナーを守る愛煙家が身に覚えのない酷い目に遭っているか分かるのか?PAは何時も混雑している。美味しい飯にはありつけない。

道中、退屈である。CDを忘れてきたので途中の Book-off で1枚、CDを買ったが、これも何度も聞いてしまった。僕はラジオはニュースと天気予報以外は余り聞かない。カーラジオの選局が面倒なのと、人のおしゃべりを聞くのが辛いのだ。特にディスクジョッキーの軽口や馬鹿笑いにはうんざりする。そうなると自分で歌を歌う。窓が開けっ放しなので、赤信号で停まったときは声が小さくなる。忘れて歌い続けて、隣りに停まった車から笑われたことがある。歌は古いものしか知らない。誰も聞いていないので、歌詞を忘れても適当にやる。自分で聞いていると同じ声ばかりなので、さすがに飽きる。次は落語である。聞き覚えたものを暗唱する。頭のトレーニングには最適であると自分では思っている。さらに、落語には美しく、そして捨て去ってはならない日本語の表現が沢山盛り込まれている。志ん生と金馬が好きである。但し、暗唱できている部分は短い。タネが直ぐになくなる。使いきると、次は講演か授業の練習である。

なにか、テーマを考えて、好き勝手にしゃべる。すると、躓く部分が幾つも出てくる。それは覚えて置いて、帰ってから調べる。これに疲れると、次は英会話の練習をする。車から見えた風景や人の活動を英語で表現してみる。誰も聞いていないので、すごく気が楽である。車には何時も手軽な和英・英和辞典を載せている。実は、この練習方法は琉球大学の西平先生に習ったものである。三宅島でお会いした際、先生が余りに綺麗な英語を堂々としゃべるので、「どういう方法で勉強されたのですか?」とお聞きしたら先生が楽しそうに教えてくれた。いわゆるバーチャルな勉強である。お金が掛からないし、恥ずかしくもない。語学の練習は声を出すことが大事である。しかし、あまり熱中すると赤信号を見逃す。

以上を繰り返していると、やがて家に着く。不思議である。

家に戻ってから中園先生に電話した。「君の部屋は開かずの間になっていたから・・・」と含み笑いをしていた。
どうしてあんなに意地が悪いのだろうか?


編集後記にかえて 「薩摩の海に思うこと」 09/01/06

僕は大隅半島側で潜ったことがない。そこには佐田岬や串間の海がある。そこは何時か訪れたいと思っているが、あまり関心が湧かない。なぜなら、同じ黒潮本流が洗う高知や南紀の海とあまり変わらないだろうと思うからである。僕が日本で一番興味があるのは東シナ海側と日本海の海である。太平洋側は文字通り一続きの海と思っているし、情報量も多い。僕が調べなくとも、色んな人が調べてくれている。しかし、東シナ海側と日本海も海が一続きであるのは同じだが、情報が極めて少ない。僕が調べようと思うのはそんな単純な理由でもあるし、日本海の成立というテーマにも関係するからである。この海域に添った地域に住んでいるダイヴァー達は皆ではないが、南を目指す人が多い。

沖縄よりも南の中国や台湾の沿岸にはホンベラやキュウセンが居る。台湾ではテンスの唐揚げが人気でもある。東シナ海は緯度の尺度では測りにくい海だと思う。最近、ニュースとなっているハリセンボンやエチゼンクラゲもこの海域とその海流に関係しているのは明らかで、今後、中国や韓国での国内事情と絡んで、何が起こるか予測もつかない海域でもある。また、軍事的にも発火点となりそうな南砂諸島、中沙諸島、東沙諸島、膨湖諸島、海南島、尖閣諸島、竹島(独島)等の拠点を孕んだ海域である。恐ろしいことだ。歴史的にも日本人があまりにも知らないことが多い。

黒潮はフィリピンから東シナ海、沖縄の西側を北上し、トカラ海峡でやがて2つの流路に分かれる。その一つが対馬暖流で、東シナ海を昇り、九州西岸を通って日本海に流れ込んでいる。ちなみに九州の南に長く連なる島嶼群を南西諸島と言い、鹿児島県に属するのを薩南諸島、沖縄県のものを琉球諸島と呼び分ける。

この黒潮の分岐点に位置するのが、トカラ列島であり、その北には屋久島、口永良部島、種子島の大隅諸島、それから黒島、竹島、硫黄島の口之三島(クチノミシマ)、宇治群島、草垣群島が位置する。少し北側の薩摩半島の沿岸海域や甑島と男女群島も同様な海域として含めても良いかも知れない。この辺りは面白い海域だと思う。沖縄本島の西側に浮かぶ久米島も面白い(ここにはユウゼンが居る)。僕の関心はこの辺りに最も集中する。院生の頃、ある教授に頼まれて、チョウチョウウオ科の分布を調べたことがあるが、やはりこの海域に面白い分布特性が見られた。その結果は未発表のままであるが、原稿は残っている。

古い記録で現在とは少し状況が異なるだろうが、少し紹介しよう。

チョウチョウウオ科魚類の中で特異と思える分布特性を示すのは、ユウゼン、タキゲンロクダイ、シラコダイ、ゲンロクダイで、これらは中国、台湾、南日本沿岸に分布する(ユウゼンだけはかなり限定される)が、琉球諸島には殆ど出てこない。どうも、琉球諸島だけを避けるように分布するのである。小笠原の特異性についても自分で触れているが、当時と現在では小笠原の魚類相調査結果はかなり異なっているので、当時の僕の考察は既に意味が無くなっている。

陸上動物では、この辺りに渡瀬線、三宅線、新ワラセ線、その他色々な分布境界線が引かれているが、一続きであるはずの海産の生き物には通用しない。では、海産魚類のクマノミ類をとって魚類の分布を考えてみよう。

日本沿岸には6種のクマノミ類が居る。クマノミ、ハマクマノミ、ハナビラクマノミ、トウアカクマノミ、セジロクマノミ、カクレクマノミである。沖縄本島周辺や宮古諸島、八重山群島にはこの全てが生息している。しかし、北上するにつれて種数は急減する。奄美ではクマノミ、ハマクマノミ、セジロクマノミだけになる。トウアカクマノミは居るかも知れないが、この種はとんでもない港の汚れた砂底などにいる場合があり、その生息域は正確には掴みにくい。久米島にはトウアカクマノミが居るそうだ。イーフマンホリデーというダイヴィングショップの小川真司さんからお聞きした話で、工事で港内に潜ったダイヴァーが偶然発見したそうだ。暗く淀んだ海底で、2度と探し出すのは無理だったと言うことである。トカラ列島にはハマクマノミは居ないと考えられていた。しかし、講師の坂井陽一さん(広島大学)が中之島でペアを組み、繁殖しているハマクマノミを確認してくれている。同じく、講師の松本 毅さん(YNAC)によると屋久島ではハナビラクマノミが出たことがあるが、厳密には居ないそうだ。つまり、日本列島の西側の海域(東シナ海)ではトカラよりも北側にはクマノミしか越冬、繁殖していない。
 *ちなみにハナビラクマノミは南紀串本でも出ている。

サンゴイソギンチャクは九州北西岸のかなり北まで生息している。日本海における分布域は未だ、押さえていない。サンゴイソギンチャクを最も好むとされるクマノミは天草から五島辺りまでが分布域(越冬し、繁殖する)と考えられていたが、最近は少しずつ北上しつつある。サンゴイソギンチャクの方が先に北まで分布していたのは確かである。クマノミは福岡市西区の小呂の島でも越冬している。繁殖の確認は未だされていない。マスコミのように地球温暖化の為とは気楽には言うのは止すが、最近の沿岸水温の冬季の上昇と分布域の拡大が深く関連しているのは確かだろう。また、サンゴイソギンチャク以外のハタゴイソギンチャクやシライトイソギンチャク等のホストは薩南海域よりも北の九州北西岸には出てこない、あるいはとても少ないと思う。これにはさらに精査する必要がある。

薩南の海にはクマノミだけが生息している。他のクマノミ類の幼魚が出現するのは確認していない。この海では、ベラ類やチョウチョウウオ類の実に様々な幼魚がまさに死滅回遊として出てくるが、クマノミ類は別であるようだ。これは九州の北西岸でも同様である。かなり水温が下がる九州北西岸の海でも実に様々な南のスズメダイ類、ベラ類、ブダイ類、チョウチョウウオ類、ヒメジ類等の幼魚、若魚が出現している(ログブック「筑前沖の島」 も参照して下さい)。しかし、クマノミ類はクマノミ1種だけである。これは、クマノミ類の孵化後から定着までの浮遊生活期がベラ類やチョウチョウウオ類等に比べて短いのが第1因だろう。移動する期間が短く、その為に移動距離も短いのである。ベラ類やチョウチョウウオ類のように分散距離が大きい魚類では、極端に分断的な分布を示すこともある(お持ちの方は、IOP DIVING NEWS, 11(2) も是非、参照して下さい)。

ベラ類のように浮遊期間が長いと考えられているゴンベ科のオキゴンベはどうだろうか?これは見事に屋久島と薩摩半島および大隅半島の間の大隅海峡で分布が分かれている。大隅海峡よりも南には居ないのである。近縁のミナミゴンベはこの海峡を挟んで両側に生息する。何が両種を分けているのだろう?海は一続きだろうに。
日南の海は遠浅で、砂地が延々と続いている。大隅半島の北側だが、この日南の水深30〜40mの砂底に魚礁オリンピックとして沢山のコンクリート、あるいは鉄製の魚礁が沈められている。そこにオキゴンベがかなり住んでいるのだ。こやつらはどこから来たのだと思うことしきりである。周囲には全く岩礁がない。

クマノミ類を見直す」では、奄美に腹鰭の長いタイプが集中して出現することを紹介している。このタイプがトカラには出てこないのかも調べてみたいのである。奄美とトカラの南端にある横当島(北緯28°30')の距離はわずかである。トカラ北端の口之島(北緯30°)と屋久島との距離もわずかである。屋久島と大隅半島南端との距離も近い。しかし、そこには見えないボーダーラインが存在しているように思える。本州南部や四国の太平洋岸ではこうしたボーダーラインは存在していないように考えている。あるとすれば、伊豆諸島の三宅島と八丈島の間、いわゆる黒瀬川がごうごうと流れる海である。また、小笠原と八丈の間にもボーダーがあると思えるが、この間の距離はかなり大きい。

身近にも不思議な海域があるんです。故モイヤーさんも対馬暖流海域の調査が著しく遅れていると話していたことがある。と言うわけで、僕はこれから坊津と、トカラに執着します。チャンスがあれば、宇治、草垣群島にも行きたいですね。それから、日本海の隠岐諸島や舳倉島も行きたい場所である。でも、コスト・ベネフィットからは釣り合わないかも。

会員のページでは雑多な記事が並んでいると思われる向きもあるかも知れない。しかし、どこかできっと繋がっていく根を持っていると信じている。



前半に書き漏らしたことがありました。

魚類調査を終えた日の夕方、宿に同じ業務の潜水班5人が戻って合流となりました。一人は知っていましたので、皆さんと同じテーブルに着き、挨拶しながらビールを飲んでいると、その中に会員がいました。向こうは知っていてくれたのですが、僕はびっくりしました。入川さんという若い男性で、琉大でイシサンゴの研究をしている人でした。時々はこうやってアルバイトをしているのだとか。「これはこれは」ということで仲良くお話ししました。年輩の方は村上さんといっていわゆるフリーランスのプロダイヴァーで、この方は講師の越智さんと仲がよいのでお名前は存じていましたが、お会いするのは初めて。後のお二人は潜水観察を主としたアセスメント会社の方で全くの初対面。

いやはや、世間は本当に狭いなと実感しました。まだ、まだ小さな組織ですけど、どこにご存じの方が居るかわかりませんね。この前、ある会員の方とお話ししたのですが、AUNJは少数精鋭で良いのじゃないかと言われました。少数精鋭というと、間口を小さくしかねないので、僕は余り好きな言葉でも方針でもありません。
結果としてそうなるかも知れないけど、誰でも入ってこられるようにしたいなと思っています。09/02/06


西薩紀行ー2 10/24/2006

仙台での業務を終えて、川内市で病院を開業している先輩と会い、
美味しいウナギをごちそうになりました。それから指宿と枕崎の間に
位置する頴娃町の九大宿舎へ入りました。また、一人です。

今度は割と間隔が開いていなかったので、蜘蛛の糞を掃くだけで済み
ました。翌日、坊津の北側の平崎海岸(ログブック9、その1を参照)
に行き、干潮を待って潜りました。スクーバは2年ぶり。最初に目に
入ったのはオトメベラ。ツマジロモンガラやアカササノハ、ホシササ
ノハ、クロホシイシモチ(竜巻状の群れ)が目立ち、魚は余り多くな
かったですね。海底は大きな岩と岩盤、転石、巨礫で、水深15mで
砂底になります。方位を取りながら海底地形をスケッチし、転石、巨
礫帯に入ると、オキゴンベがいました。メスです。

右側の体側に黒い点があり、左側にはありません。その他の特徴もス
ケッチし、3mくらい進むとオスがいました。1センチ位大きい。体
が黒っぽく、体側に数本の横帯があります。背鰭棘最後の先端が長く
伸びています。これも顔などをスケッチしました。すると、メスが近
づいてきて、2尾が並ぶとクルクルと2尾で廻り始めました。可愛い!

まるで子犬がじゃれ合っているようです。

先ず、この2尾が住んでいる礫帯に50mのメジャーを張り、簡単に
測量し、基点の横の大岩の頂上で周りを俯瞰して目印となるサンゴ
(シコロサンゴが多い)、スリバチカイメン、サンゴイソギンチャク、
ソフトコーラルなどを記入しました。それから浮上して山立てを行い
そこで残圧が少なくなったので戻り始めました。最初から耳の抜けが
悪く、注意していたのですが、突然、ブジュという音がしました。
左の耳です。イキムと泡が出ているのが分かります。「やったか」と
思いましたね。

痛みはないし、平衡感覚が酷く狂うこともないので、ゆっくり戻りま
した。

枕崎市に行き、病院を探す前に銀行でお金を下ろし、車を動かそうと
すると、誰かが幌をポンポンと叩きます。見ると、南薩マリンの田中
さん。挨拶して、訳を話すと、「ですかー」と笑い、「僕の車に附い
てきなさい」と耳鼻科に案内してくれました。

小さな穿孔があり、化膿止めの薬を出して貰いました。この後、惨事が
続くのですが、これから業務の仕上げと壊れた携帯の交換、耳鼻科へ行
くので、また後で。

続き

昨日、耳鼻科で再検査をしました。枕崎での検査ではかなり聴力が落ち
ていると言われたのですが、今度はわずかだと言うことで、検査のミス
ではないだろうかということでした。カメラで鼓膜を見せて貰いました
白い鼓膜に血管が走っていて、一部に黒い点があり、そこが孔の開いた
箇所で、もう塞がっていますとのことでした。しかし、中耳に水が入っ
ており、これを抜くのが痛かったです。僕は鼻中隔(性格も)が曲がっ
ており、管が入りにくいのです。

以前、母親が顔面神経痛になり、後頭部に穴を開けて神経に触れている
血管を移動させる手術をカメラで見たことがあります。人間の体の中っ
てなんて美しいのだろうという印象でした。まさにミクロの決死圏。

こういう機械があれば、魚の消化管の中にカメラを突っ込み、何を喰っ
ているかを殺さないで調べることも可能ですね。トウシマコケギンポの
巣の中も見れそうです。但し、耐圧と防水が困るかな?

枕崎の病院を出て、遅い昼食を取り、タンクをショップに預け、宿舎に
帰りました。中園さんが夕方に来所すると言うことでしたが、携帯に
メールが届き、腹痛でキャンセルとの連絡が入りました。島元さんから
長島の焼酎、「島美人」を1本貰っていたのに残念。

潜水具を庭の流しで洗い、水を浴び、釣り具を持って直ぐ近くの河口で
海老を着けてクロダイを狙いましたが、フグが多くてハリスを直ぐに切
られるので20分ほどであきらめました。部屋に入って、島美人を舐め
ながら、その日の記録を清書し、方眼紙に測量結果を書き込みました。

時計を見ると9時を過ぎており、それから、台所のガス台の前に椅子を
置き、焼き肉を食べました。こうすると片付けが楽なので大好きです。
一人暮らしの安直さ。

すると松井先生から電話。しかし、アンテナ1本で直ぐに切れてしまい
ます。僕のはボーダフォンなのです。現場業務ではフォーマにしないと
繋がらないところが多いのですが、僕はNTTが嫌いです。また、JA
L、JR、NHKも嫌い。性格が曲がっているからです。

何度も掛けてこられるので、外に出ました。国道に出るとアンテナが2
本になります。松井さんの愚痴を聞きながら、空を見ると満天の星。
凄いナーと思いながら、橋の欄干に腰を掛けました。欄干の幅が広いの
で仰向けになり、「先生、白鳥座の下ですよ。綺麗だナー。愚痴など言
わないで遊びに来てよ」と話しました。この頴娃町の水成川と言うとこ
ろは昼間でも人を見かけることが少ないので、夜になるとまるで人気が
ありません。

そこから記憶が途切れます。

気がつくと、仰向けになって水に浸かっています。幸い、水が浅く、顔
は水から出ています。何処なのか、さっぱり分からない。腰と後頭部が
猛烈に痛いのです。前後にはコンクリートの壁があり、上には白鳥座。
壁は3m程あり、垂直です。

なんとか立ち上がりました。フラフラし、目が回ります。壁にもたれ、
しばらくじっとしていました。「モシカシテ、ノウシントウ・・?」

左手には携帯。眼鏡は掛かっている。携帯がまた鳴り出しました。松井
先生なのは分かりましたが、さっぱり様子が掴めない。後から聞いた話
では、訳の分からないことを言っていたそうです。

一度、電話を切って、もうしばらくじっとしていると、因果関係が掴め
てきました。さあて、脱出しようと登り口を探しましたが、垂直壁。
下流は川への落ち込みで、上流は同じような壁が続いています

後からの話では、この時、すでに松井さんは異変を感じ取り、中園さん
と島元さんに電話を掛けていたそうです。

下流の川に飛び込んで、そこから泳ぎ、お地蔵さんのところから登ろう
かと思いましたが、携帯や財布が濡れるなと考え(既に水没していたの
ですが)、壁を登ろうと出っ張りのある部分を探してなんとか娑婆に戻
りました。

アンテナが未だ立っているところから松井さんに電話を掛け「大丈夫で
す」と伝えました。そこで携帯がこと切れました。宿舎に戻って服を脱
ぎ、洗面所で体と頭を洗い、体を調べました。右手と脚にキズがあり、
腰と頭が痛く、後頭部にたんこぶ。しかし、骨が折れた形跡はなし。

冷蔵庫から保冷剤を出して、バスタオルで腰に固定しました。製氷室に
入れていたウオッカの瓶で頭を冷やしながら、すっかり冷え切った体を
ウオッカで暖めました。ベッド代わりの米軍払い下げのコットに寝ころ
び、明日は酷いことになっているのでは、歩けるのだろうか、運転でき
るのだろうか等と考えている内に寝てしまいました。セミナーでは介護
係がやはり必要だなとも考えていたのですから、なんと脳天気。

翌朝、なんとか立ち上がり、歩けるのを確認。しかし、前傾姿勢です。

携帯が完全にお釈迦であるのも確認。車に這うようにして乗り込みま
した。さあてどうするか?遠い道を来たばかりで、直ぐに帰るのはしゃ
くである。役場で小縮尺の管内図を買っていないことを思い出し、坊津
に出掛けました。こういう時にはマニュアル車は不便です。クラッチを
踏む度に腰に衝撃が走ります。なるべく座席を前に出して、踏み込み易
いようにしました。車が少ないので、とろとろ走っても余り迷惑を掛け
ません。

しかし、役場に行くと閉まっている。土曜日なのを忘れていました。
普段から曜日を気にしない生活をしていますから、こういう田舎に来る
と加速します。仕方がないので、途中のコンビニで電話帳を借りて、古
道具屋を探しました。部屋に机が欲しいと思ったのです。古くて壊れた
机があるので、それを修理しようと思いました。しかし、椅子と電気ス
タンドが無いため、それを探そうと考えました。加世田市に古道具があ
るそうで、久志から加世田に出ようと左折。しかし、この道がまた凄か
った。カーブミラーを百まで数えましたが、止めました。ヘッドライト
を点け、クラクションを鳴らしながら1時間の走行。途中でマイクロに
出会い、離合に10分掛かりました。

やっと広い道に出て、冷たい缶コーヒーを立て続けに2本飲みました。
加世田でお店を見つけ、古いけど立派な木製の椅子とスタンドを買い、
ホームセンターで、天板用の合板、ニス、刷毛、金槌、釘、サンド・
ペーパー等を買いました。大工仕事が大好きなので、腰の痛みも何処へ
やら。

宿舎に戻り、古机の腐った部分を取り去り、庭に出して水洗い。乾くま
で食事をとり、測量用のメジャーを綺麗に巻き直しました。売っている
メジャーは高い割に、よりが掛かり、裏返しになると目盛りを読むのに
イライラします。巻き取りもしにくく、使いにくいので手製です。

電気コードを使っています。適当な重さがあり、浮きませんし、よりも
掛かりません。安いし、縺れにくいのも魅力です。目盛りはウエット・
スーツの裏地に使われているジャージをリボンにし、色分けて結びつけ
ます。こうするといちいち数字を読むより手早いのです。水の中では、
頭が走りませんから、考えなくて済む道具が良いのです。これを釣り用
の糸巻きに巻きます。クルクルと回転するので、張るときにはとても楽
です。

そうこうしている内に机が乾き、修理し、天板を貼り付け、ニスを塗り
ました。買い求めた椅子も綺麗にし、これもニス塗り。立派なセットが
でき、ご機嫌。夕方になっており、近くの生協へ行き、鰹のタタキ、弁
当を買い、島美人で乾杯。公衆電話から、松井さんに電話。ついでに家
にも電話。携帯ではないので、家人が不審に思っている様子がありあり

「携帯は溝に落ちて水没と相成った」と、半分嘘で、半分本当のことを
伝えました。それで納得したようなので、そこそこに電話を切りました

翌朝、部屋を整理し、戸締まり、ガス栓を締め、コンセントからコード
を抜き、後ろ髪を引かれるような思いで車に乗り込みました。

鹿児島市から南自動車道で市来まで、そこから国道3号を北上、八代の
南、田浦から九州自動車道に乗り、ひらすら北上。鳥栖で事故があり、
渋滞を辛抱して、家に辿り着きました。4日間で1050キロを走破。

前傾で歩くのを家人に見抜かれ、顛末を白状。水があったから良かった
のだろうと思います。一昨年のシニアソフトボールの忘年会では、狭い
側溝に落ち、仰向けのままハマッテ、全く動けなくなりました。
この時は、眼鏡が飛び、ぼんやりしたスバルとシリウスを眺めながら、
このまま、凍死するのかなあとも思いました。

でもなんとか生きています。

長文、駄文にお付き合い下さり、有り難うございます。



編集後記

 鹿児島県枕崎市にタテガミ美容室というお店がある。ここのカリスマは
馬の鬣のような髪型をしているそうです。それにしても変な店名ですが、
これには訳があります。


枕崎市の立神岩。広島大学の研究船、豊潮丸より撮影

この岩がお店の名前の由来です。しかし、枕崎市には居酒屋「土踏まず」と
いうのがあるのです。これを見つけたときには吹き出しました。ならば、
「カフェ・フクラハギ」「リストランテ・ムコウヅネ」「食事処・ぼんの
くぼ」なんて作ってやろうかとおもいましたね。鹿児島には変な名前が多い
のです。人名、地名も中屋敷、田之上、伊集院、坂之上等の3文字が多く、
ひたすら3文字を目指すという傾向があるように感じられます。しかし、こ
れにはなにか理由があるのでしょう。だけども、卸団地が「オロシティ」、
吹上浜にある宿泊施設が「コケケ共和国」等というのには首を傾げてしまい
ます。コンビニもSPAというのがあり、これでは温泉ではないですか?

ともかく面白いところです。やたら語尾に「け」や「ど」を付けるしゃべり
方も面白い。それに美しい人、むぞかおごじょが多い。良いところです。

薩摩の海だけでなく、土地柄、料理、焼酎も好きです。家の近くに居酒屋
「水鶏(くいな)」と言うのがあり、良く行きます。ここに焼酎「坊の津」
が置いてあり、これをキープします。魚が安くて美味しく、もの凄くボリ
ュームがあります。アラカブ(カサゴ)の唐揚げなど30Bくらいのがど
ーんと出ます。卵焼きなどは「悔しかったら喰って見ろ」と言わんばかり
に巨大です。一度、オーシャンファミリーの海野義明さんとここで飲み、
彼はすっかり気に入りました。

戻る